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映画『ミッドサマー』の感想を30分一本勝負で書く ※ネタバレなし


先日、映画『ミッドサマー』(ディレクターズカット版、R18)を見た。

経験してよかったと断言できる一方、容易に人に勧めたいとは決して思わない。一言で言うとそういう感想。あれ、この感想、既視感あるなと思ったら、自分の経験について抱いているのと同じだった。歳の離れた弟の進路相談にのるべく、ぽつぽつと父に説明していた時に発した言葉もそれだった。裏を返せば、容易に人に勧められないからといってよくない経験というわけではない。ということが言いたい。


アリ・アスター監督は、「自分が危機に瀕している方がいいものが書ける」とインタビューで語った。また、作中での過激なまでにバイオレンスな描写は、結末によりカタルシスを感じるためらしい。感想なんて書く気はなかったが、映画を見た後でこの2点を知って、何かしら残しておきたいと思うに至った。(これらはそれぞれ、一緒に見に行った2人が教えてくれた項目でもある。)


感想の基本方針

安易な断片のネタバレが誰かの鑑賞体験を歪めてしまうのが怖いものの、そうはいってもきっかけは作りたいので何かをレビューする際はいつも又吉直樹さんの手法に倣っている。作品の解説や批評それ自体ではなく、作品紹介を通して自身の経験を綴るパーソナル・エッセイというらしい。その本を読んだ時にどういう状況だったかとか、文章を読んで思い出した他愛もない出来事とか。(『第2図書係補佐』)

ということで、ネタバレはありません。というか、映画の中身についてはほとんど書かない。その代わりに、鑑賞後に読んでよかったリンクを貼ります。

↑リンクが貼れないけど(映画を観た後で)「観た人限定ページ」を読んで欲しい。

あと、守らなければならない締め切りや、返さなければならない連絡のことを考え、本当は1週間くらいはかけてじっくり書きたい感想を今から30分で書く。これもまた、良い訓練だと思う。

(注:当初パーソナルなあれこれを書こうとしたけど、時間切れになった。後から書き足したくなったら書く。→追記:代わりにこのnoteを書いた。https://note.com/sr__yorube/n/n7b22f031dd59

映画についてざっくりとメモ

ストーリー)家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。 (公式サイトより

舞台はスウェーデンの奥地のコミューン。コミューン独自の風習が、ダニーら「よそもの」たちを動揺させる。明るいホラー(※監督曰く、ダークコメディー)というだけあって、映像や音楽の美しさと、過激なならわしとの高低差にじわじわと麻痺させられる。ある種のセラピーというか、それに近いものを感じた。

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水曜日のダウンタウンで「真面目な番組ほど下半身パンツ一丁でもバレない説」の検証をしていて、仕掛けられたアナウンサーたちが、仕掛け人がズボンを履いていない「異常事態」に気づいたものの「誰も何も言わないから」リアクションできなかった、のを思い出した。当たり前に提示された不自然にどこまで抗えるのか、というのは課題ではある。また、急遽のリモートワーク導入によるWEB会議増加が、この説を現実的に検証するシチュエーションを増やしているのも、個人的にはじわじわと感じるものがある。


明るいホラーの本質、シニカルさが盛りだくさん

経験してよかったと断言できる一方、容易に人に勧めたいとは決して思わない。自分はこういう感想を抱いたし、そう感じた人はたくさんいると思う。あまりにカロリーが高かった。エンドロールで文字の上に無邪気にぽつぽつ咲く花を見ながら、「何差し出してくれてんだ・・・」と呆然とした

(ただ、その後じわじわとカタルシスを実感した。映像がとても美しくて、数日経ってもう一度見たいとまで思い始める感覚はこれまでなかなか味わったことがない。)

そんなハイカロリー作品の主舞台であるホルガ村の奇妙な風習に通底する基本思想が『過度の共感』というところがまず最高に皮肉でたまらない。

不安障害を患う主人公ダニーが欲しい「共感」を示してくれない恋人クリスチャン。一方で、何が起きたか事情は存じあげないが、感情はともに乗り越えるぜ、とばかりにその「共感」を差し出してくれる村人たち。なんなら当の本人なんて比じゃないレベルで「うおおー」と獣のごとく叫んでかき消そうとしてくれる様は、弱っていたならば最大級に頼もしいとすら思ってしまいそうで、抱いた感想に少しおびえた。それを自覚できたことは収穫だったと思う。『過度の共感』は、麻薬に近い。

そういえば、ホルガ村の公式ページを発見した。絶妙にノスタルジック。時空の歪みにもっていかれそうになる。

ホルガ村の「当たり前」は、書くとネタバレになってしまうし説明するにはもう時間がないので割愛するが、ここについては見た人と語りたい。それと、クリスチャンの人間性をどう捉えるか、というテーマは、相手のことをもっとよく知る手がかりになりそうだなと思う。


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クリスチャンを演じた俳優ジャック・レイナーが主人公の兄として登場する『シング・ストリート 未来へのうた』も素敵な映画。

ここまで書いて30分経った。


完璧な文章などといったものは存在しない

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

村上春樹は『風の歌を聴け』でそう書いた。言いたいこと書きたいことは溢れそうなほどあるのに、普段作品の感想なんてなかなか書く気にならないのはこういう感覚からだ。一定の完成度まで至ったものに、ありあわせの感想を書くのは自分には荷が重い。という言い訳を乗り越えて、文字に起こした。

いちばんは、一緒に見に行った2人に読んで欲しいから。にばんめは、次に「共感」を渇望する局面(多分、すぐに来るはずだ)に立たされた自分に読んで欲しいから。

観てよかった。

もどかしさ、辛さ、やるせなさ、その他の強烈な感情が、いつかの時点でのカタルシスにつながるかもしれないという望みは、何度も訪れる極夜を少しは乗り越えやすくしてくれるのだろうと思う。

そう思い込めさえすれば、完璧な絶望は存在しないに等しい。



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(追記)

完璧主義に囚われていた頃、スラムダンクのエンディングが「完璧な絶望」だったなと思い返した。



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