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vol.042 梅雨から夏へ

沖縄に移り住んでから、梅雨の時期に関東を訪れる機会はほとんどなかった。先日、中学生になった娘は夫に託して、関東で1人暮らしをしている母に会いに行ってきた。

今年の八重山の梅雨は、雨季と言ってもよいほど雨ばかりの日々が続いていた。石垣島の空港で飛行機に乗り込んでからも、そろそろ梅雨が明ける八重山を後にわざわざ梅雨真っ只中の関東へ向かうことがナンセンスに感じられていた。けれども、母の家に到着し、雨に濡れる青、紫、ピンク色に染まる紫陽花を目にした時に、この季節に来られてよかったと湿り気をおびた梅雨時期の静かな光の中で思った。

関東に着いた翌日は、母と姉と私の3人で箱根の温泉宿に泊まり、美味しい食事をしてゆったりと過ごした。

その翌日は近場の美術館で半日過ごすという贅沢な小旅行を楽しんだ。母の家を出て帰り着くまでほぼずっと雨がシトシトと降り続けていたけれど、旅先での撮影を考えていた私や姉にとっては、箱根の山にかかる霧や、緑を濡らす雨が神秘的で、かえって好都合にさえ感じられた。母はよく食べ、よく寝て、よく話しニコニコと終始ご機嫌だった。

1週間の滞在の最終日には、私たちにとって思い出の場所であるDIC川村記念美術館へ行ってきた。私がまだ学生で、養育してくれた義理の父が亡くなった頃、この美術館がある庭園の敷地内に隣接しているギャラリースペースで母、姉、私の3人で作品を展示したことがあった。当時、海外で暮らしていた私は帰国できず今回が初めての訪問となった。3人でこの場所を訪れることができたのは嬉しかったし、やり残していたことを一つ成し遂げたような不思議な達成感を感じた。

帰りの電車の中でも、家に着いてからも、私が沖縄へと帰る当日も、母は嬉しそうに「今回は楽しかったわね、また一緒にどこかへ行きましょうね」と何度も繰り返し言った。認知症を患っている母は、今回の温泉旅行のことや思い出の場所を訪れたことは忘れてしまうかもしれないけれど、たぶん楽しかったという感覚は残る。

まだ言葉にどう置き換えていいのか分からないけれど、母が体験を忘れてしまっても楽しかった感覚だけは記憶に残るという現象と、写真を撮るという行為とが、どこか重なり合うような気がしている。

関東から八重山に帰り着くと、梅雨が明けていた。湿度をおびた南風が吹き、目がくらむような眩しい太陽の光が満ちていた。

「ただいま」


【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。



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