私と『書く』こと


 私が所謂『モノカキ』を始めたのは、小5の頃だったように思います。

 昔から本は好きでした。「カタカナ教えてないのにセー〇ームーンの本勝手に読んで勝手にカタカナ読めるようになってた」という話は未だによく聞きます。子供向けの本ってカタカナにひらがなのルビ打ってるもんね。
 大人になってからの方が本を読まなくなったなあ、と思うのは、「最後まで読まないと眠れない」のが原因かもしれません。本を読んでいる途中で止めるのが頗る下手で、歳を取ると翌日に差し障ることに……なる……。ハリ〇タ読んでて気づいたら朝だったとかやりませんでした?私はしょっちゅうやりました。RPGゲーム大好きでよくやってますが、ゲームも途中で止めるのが下手です。放置するとぶっ通しでやってしまう。数年前の9月の連休にぶっ通しでペル〇ナ5やった後は反省して「今日はここまで……だめ……もうだめ……」が多少出来るようになりました。が先日のF〇14の最新パッチはどうしても最後まで見たくて夜中3時までやって翌日危険でしたね……自制心のない大人……。ところでさっきから伏字にする必要あるのか私?まあいいや。

 自分で書くようになったきっかけは、何だったんだろう。
 丁度同時期にライトノベルにハマったのはひとつのきっかけなのかもしれません。あかほりさとる氏の本をたまたま友達から借りて(ラムネだったかMAZEだったか思い出せない、セイバーマリオネットは後だったことは覚えてる)読んで、そこがきっかけだったような気がするんですけど、全然思い出せない。気が付いたらめっちゃノートに書き殴るようになってました。有難いことに読んでくれる人は常に誰かしらいて、読んでもらえるのが嬉しくて書いていたんだと思います。
 ちゃんと書き始めたのは小5だったけれど、それまでの期間にも私の頭の中にはいろんな世界があって、それを表現する方法を見つけたのが嬉しかった、のかな。多分。頭の中に友達がいるタイプの子供だったので(そしてそれは今でもそうなので)、彼らを頭の中から出してあげられることがとても嬉しかったのだと思います。話すのは下手だからどうしておも上手く分かってもらえないけど、書いたら伝えられることを知った。それは私にはあまりにも衝撃的で劇的な、「モノカキ」との出会いでした。

 まーーーーーーそこからは延々何かしら書いて生きてます。
 一次創作の時もあるし、二次創作の時もあるし、同人活動をしていた時もあるし、何だかんだ言いながら筆を折っていた時期、というのがないです。というか、「私から書くことをとったら何が残る……?」という気持ちがあるので、結局書くことに戻ってくる。
 小説家という職業になりたいと思ったことがない訳ではないけれど、「関わる仕事」は一時期本気で考えたこともあるのですが、結局志さなかったのは私にとって「書くこと」が「そういうもの」ではなかったからなのかもしれません。同人活動始めた頃は「私が書いたものに金銭が発生する」の、すごい……!と思いましたが、なんかお金が関わってくると書きたいもの書くのが上手くいかなくなってきて、ジャンルへの熱の低下もあってさくっと引退しました。今でも本を作るのは好きなので、たまに自分用の本を作ってにこにこしてます。それくらい。

 あとは何より、一生私の心の中で引っ掛かっている言葉があって。
 「お前が書くもので誰かの心が動かせる訳ないだろう」
 多分、勉強ほっぽって書いてばかりの私に業を煮やして、説教の最中に放たれたその言葉を、私は一生引き摺って生きていくのだと思います。その言葉だけが今でもぐるぐると私の中を巡る時がある。あの言葉から、書くものの内容が変わった気もする。
 あまりのことに私その前後の記憶がさっぱりないんですよね。ただその言葉だけを覚えていて、多分その時に結構な量の書いたものを捨てられている。当時の私には本当に「それしかなかった」時期があって、それを全否定されて、頭が真っ白になったんだろうなあとは思うのですが。覚えてないな。忘れるならその言葉も忘れてくれよ私の頭。
 今なら言えるんですけど。私が書いたものは、私の心を動かし続ける限りは大丈夫。私の心がミリも動かなくなったその時は、きっと筆を折っている。
 そして何より今でも書き続けるのは、その言葉が悔しかったから、なのかもしれません。

 いいものに触れると「もっと読みたい」より「私もこんなものが書けるようになりたい」と思う。
 そう思える限りは、「モノカキ」を続けていこうと思います。細々と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?