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孤独の模型

私は模型を作ると云う中々にマニアックな趣味を持っております。世間のおたくの認知の変化に伴い大分世間の眼差しは温かいものになりましたが四半世紀前まではおたくは迫害するものと云う世間の風潮が確かにありました。その頃からおたくをしておりますので、未だに表立っておたくである事を喋るのは抵抗と云うよりも恐怖が先立ちます。中学の頃には周りでプラモデルを作る人など居らず、1人家に帰っては少ない小遣いで買った144分の1のガンプラを組んでいるような少年でした。インターネットも勿論ないので、羅針盤はホビージャパンだけでした。羅針盤と云うよりも希望の光でしたね。誰にも話さず、1人黙々と模型で遊ぶ子供でした。辛かった様な思い出話ですがこれまた全く逆で兎に角1人が大好きな子供で、たまに友達と遊ぼうとなるとちょっと緊張する位でした。子供部屋という無人島で1人おたく生活を楽しみ、時々通りかかるホビージャパンと云う船を見て「いつかあの船に乗ってみたいなぁ」なんて夢想していた訳です。真っ当であるはずがないですよね。ですのでキヤノン先生のあのエピソードを読んだ時はそりゃ涙するわけです。

1人無人島で遊んでいた子供は何時しかインターネットと云う橋を手に入れて、同胞を手に入れる訳です。世の中にほんとに模型を作る人が居るのだと驚くわけですね。軽率に作ったものをアップロードして知り合いが増えはじめ、誰かのために作る模型や誰かに見せるために作る模型なんてのも作り始めるわけです。展示会なんてものにも参加します。見せる喜びを知るわけですね。何時しか憧れていたあの船たち、模型誌にも掲載させて頂いたりするわけです。こういうのを作らないか、こういう方法はどうだろうか、色んな人と会い色んなことを考えるようになります。誰かのために作るものがどんどん増えていきます。

大人になり仕事をして、家族との時間も出来ました。自分の時間、作る時間は1日数時間になりました。展示会やイベントも迫り、作りたかったものは何時しか作らなくてはいけないものになり、作ろうと思っているものは今つくらいといけないものに押し出されていきます。誰かのために作るものは他者性が必要です。家族の時間、仲間の時間、繋がりが作る時間をどんどん覆い尽くしていきます。作りたかったものは何だったのか、時々思い出さないといけないものになりました。

模型はどこまで行っても孤独なものです。作るのは自分ですし、完成を決めるのもまた、自分だけです。時間も限られています。誰かのため、何かのために作る前に、今1度自分の気持ちの拠り所がどこなのか、時々は

無人島に戻って良く考えてみるのもいいのでは無いでしょうか。

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