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希望の傷跡

高校野球部は毎年春に新しい一年生を迎え、その年のメンバーグッズを配布する。ユニフォーム・カバン・キーホルダー、全て春の選抜を勝ち抜き甲子園へ行くための団結力を 高める大事なものだ。新入生の中にはこの野球部の証に憧れて入学する生徒もいる。中学 のときのライバルや憧れの先輩選手と仲間の絆を結ぶ儀式をする日を顧問も生徒も心待ちにしていた。

しかしその日は一向にやっては来なかった。新型ウイルスが流行し春休み期間の部活はもちろん、新入生を迎え入れることさえ出来ない。仲間の絆を結ぶ前に、目指す目標を失う可能性が出てきた。春季リーグ戦や春季地区大会、6月の行事まで中止が決まった。

5月、学校への登校がやっと始まる。休み時間に空き教室に集められ、部活動に関する説明や提出する書類についての説明がされた。少し緊張しているのか教室の隅の方に固まった新入生達は椅子に浅く腰掛け、背筋を真っ直ぐ伸ばして話を聞いていた。逆に隣の席に 座った先輩はグラウンドを見つめていた。なんとなく話を聞いて、簡単な自己紹介が始まる。学年名前部員に一言。毎年「甲子園に行けるように」という出だしで話始める人が大半だが、今年は1人もいなかったように思う。自分も協力してみんなと一生懸命頑張りたい、などという当たり障りないことを言った。目標が無いわけじゃない。目標が消えてし まうのが怖かった。今年のキーホルダーを1つずつ貰ってから帰ってください、というマネージャーの声でミーティングが終わった事に気がつく。立ち上がった先輩の机には英単語帳が置いてあった。甲子園は進路に大きく関わる大事なものだ。高校生はみんな忙しい、常に色々な物事が同時進行で何かに追われている。野球で進路が決まるかもしれない、そのチャンスを信じている選手だっているのに。「今年は中止、また来年」なんてものは通じない。なんだかキーホルダーを付ける気になれず、ポケットにねじ込んだ。

帰り道の信号でスマホを取り出すと、先輩のSNSのプロフィールが更新されている事に気付く。新しくなったプロフィール画面の一言コメントからは甲子園の文字が消えていた。キーホルダーの文字が頭の中でぐるぐると回る。絆の証が呪いのようにまとわりつく。今年は例年通り野球ができるのか。甲子園は開催されるのか。先輩は?僕は?今年じゃなきゃ、全部意味無いのに。

信号待ちの度にポケットからスマホを出して「甲子園 中止」で検索をかける。ポケットの中から落ちた事にも気が付かないくらい、甲子園開催決定の文字を求めてとにかく夢中で調べ続けた。決定は20日の会議で決まる。


表紙画像は拾ったものを水性ファイバーチップペンを使ってフロッタージュしたものの裏面。「希望が大きければ大きいほど失ったときの傷跡は深い」ということを拾ったもので何かに傷を残すことで表現しようと考えた。

R2_3-2「あなたが拾った物の旅(A Journey of Found Objects)」

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