ナポレオンとクラシック音楽(2): 若きウェルテルの悩み
皇帝ナポレオンは若かりし日にドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Johann Wolfgang von Göthe (1749-1832) の出世作「若きウェルテルの悩み(若いヴェルタ―の苦しみ)Die Leiden des jungen Werthers」を愛読し、行軍するにも読書するために携帯させたと言われています。
三帝会戦と呼ばれた1805年のアウステルリッツの戦いにおいて、ロシア・オーストリア連合軍を、1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いにおいてはプロシア軍をも屠るナポレオン。この頃がナポレオンの権力の絶頂期。フランス軍はゲーテが宰相を務めるヴァイマール公国をも蹂躙。
二年後、ドイツのエアフルトにおいて、ロシア皇帝アレクサンドルとフランス皇帝ナポレオンは会見して、欧州におけるフランスの優位を決定的なものとします。
結果として、ゲーテも信奉していた、千年も続いた神聖ローマ帝国はついに消滅(ナポレオンに娘マリー・テレーズを妻として、断腸の思いで差し出した神聖ローマ帝国皇帝フランツ二世は、オーストリア皇帝フランツ一世を名乗ります)。
ナポレオンとゲーテとの会見
ロシア皇帝との頂上サミットの地には、六十歳となるヴァイマールのゲーテも訪れていて、二十歳歳下のナポレオンは尊敬する「ウェルテル」の老大家を呼び立てます。10月2日のことでしたが、数日後の10月6日には今後はナポレオン自ら、ヴァイマールのゲーテを訪問。
会見の内容は晩年になるまでゲーテによって伏せられ、ゲーテの傍で老ゲーテの言葉を書き留める伝記作家となったエッカーマンなどが後年いろいろと書き遺してくれているおかげで、何が語られたかを知ることができます。
ですが、私が話題にしたいのはウェルテルで、ゲーテは1824年にエッカーマンにこう語っています。
ウェルテルの物語はよく知られていますので、粗筋はここでは割愛しますが、恋人のいる女性を愛してしまったウェルテルの大悲劇は、若かりし頃のゲーテの実体験に基づいたもの。
ウェルテルの自死で幕を閉じる原作とは異なり、オペラ版ではピストル自殺しても即死はせずに、シャルロッテに抱かれながらウェルテルは息を引き取ります。
若きゲーテの疾風怒濤時代の代表作はフランス皇帝にも愛されてましたが、ゲーテは後には古典主義に傾倒して疾風怒濤的な作品を好まなくなったのでした。ナポレオンは死ぬまで疾風怒濤のような人生を送った人物で、おそらく老ゲーテの叡智を理解するには至らなかったはず。
マスネの歌劇「ウェルテル」
「タイスの瞑想曲」においてよく知られている、フランスのオペラ作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)によって、ゲーテのウェルテルは歌劇化されます。使われた台本はフランス語訳されたものです。
しかしながら、作品が書かれたのはゲーテやナポレオンよりもずっと後の1892年のこと。悲劇を予兆する序曲は素晴らしく抒情的悲劇とも呼ばれています。
アリアの中で特に素晴らしいのは、恋が成就しないことを知るウェルテルが訳していたオシアンの詩集を読み上げるアリア「春風よ、どうして私を目覚めさすのか、春の吐息よ」。数あるフランスオペラの中でも最美のアリアの一つ。
音楽的教養を持ち合わせていなかったナポレオンは、ほとんど音楽を解さない男でしたが、イタリアオペラの女性歌手の歌は好んで聴いたとか。もちろん美しい歌よりも麗しい女性のほうを愛したのでしょうが。
「ナポレオン・覇道進撃」に描かれたゲーテ
先日紹介した長谷川哲夫の漫画では次のようにゲーテは紹介されています。
歴史上最後の万能の天才などと表現するよりも、漫画に描かれているように、74歳になっても恋をしていたという、世紀の恋愛詩人としての方が現在では理解されやすいかもしれません。
畢生の大作「ファウスト」もまた、女性によって罪深き男ファウストが救済を得る物語。
女性を生涯にわたって愛し続けた、非常にゲーテらしい作品。
七五調の高橋健二による文語訳も紹介いたします。わたしはこちらの方が好きで、ゲーテのオリジナルなドイツ語らしさを伝えます。
ファウスト第一部のグレートヒェンの歌は、シューベルトやリスト、グノーなどの数多くの作曲家によって音楽が付けられています。
博物学を愛して、植物や鉱物の採集に熱中。未知の鉱物ゲータイトを見つけて研究して、そのためにこの鉱物にはゲーテの名前が付けられているほど。
色彩論の研究も著名。現代の専門家はあまり高く評価しないようですが、18世紀において光の中の色の不思議や粒子などに着目したことは慧眼です。
水木しげるのゲーテ愛
「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の水木しげる (1922-2015) がゲーテを愛読していたことは広く知られています。
第二次世界大戦の戦地に召集されて南方ニューギニアの戦場まで担いでいったのが「エッカーマンとの対話」全三巻でした。
水木さんは心からゲーテの言葉を愛された方でした。
ことわざの「木を見て森を見ない」の言葉を借りるならば、いつでもマクロ的に人生の森をいつだって考えていた人で、その視野の広さと深さに魅了されていたのでしょう。知の巨人、人生の達人であるゲーテが、水木さんにとってのゲーテだったのですね。
また先日紹介した、水木しげるの好敵手だった手塚治虫もまたゲーテ作品を愛して、生涯に三度も「ファウスト」を漫画化しています。
ゲーテの魅力
欧州の地図を塗り替えたナポレオンは流刑地のセントヘレナ島で1821年に世を去りますが、老ゲーテは82歳となる1832年まで生きるのです。
ナポレオンを尊敬したり思い出したりする人など、もはや一部の歴史ファンのみ。ですがゲーテの詩作は永遠不滅です。
ゲーテの作品の魅力を一言で言い表すならば、生命讃歌。
だからでしょうか。ゲーテは生涯、死を避け続けた人でもありました。知人や最愛の家族の死をも不吉なものであると疎い、葬儀などにも決して参列しませんでした。
この有名な言葉で長大なファウストは終結します。
男は女性の献身的な愛によってしか救われることのないというファウストの結論は、現代的ジェンダー論の立場からすれば、とんでもなく古すぎる考え方かもしれませんが、男にはとても魅力的な終結部。
つまり、身勝手にすぎる男たちの理想ともいえるものでしょうか。
ゲーテの人生は、全ての男の夢の体現と言えるものです。
数多くの女性を愛し、小国ながらも一国を総べる宰相となり、芸術家として、科学者として、偉人として世界中からの賞賛を集め崇拝された男。
それを魅力的と感じるかどうかはあなた次第ですが、大抵の男がやりたいことをやり尽くしたのがゲーテの生涯。人生の成功者である彼の人生と著作ほどに数多くのことを学べるものは他に多くはないといえるでしょう。
特に若い頃の詩の何処にも、生きる喜びとみずみずしい生命への感動が溢れています。
ゲーテの作品を愛した作曲家ベートーヴェンは
と語ったそうです。
生命力溢れるニ長調の調べ、それがゲーテの魅力です。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。