物の軌跡が気になる
こんにちは!
SPORTS MENの豊田です。
今回の豊田日記のテーマは「物の軌跡」です。
毎日持ち運んでいたカバンの底に「いつから入っていたのかわからないサインペン」を発見したとき。
そんな瞬間に受けるショックについて考察していきます。
サインペンとの再会
例えば、カバンを買い替えて、それまで使っていたカバンの中身を新しいカバンに移し替えるとき。
財布、手帳やノート、モバイルバッテリーなど、普段から頻繁に出し入れしているものたちの他に、思いもよらないものが出てくることがあります。
数回しか使っていなさそうなサインペン。
いつかの旅行先の宿のアメニティ。
決して今年ではない初詣のときに買ったお守り…
そういったものを発見すると、
「自分は今日まで、毎日これと一緒に移動していたのか」という小さなショックを受けることになります。
そういった、ある種の物の軌跡に、ときどき、心をグッと掴まれてしまいます。
「純粋移動」
これに近い感覚が、半日くらいの短い時間の中でも立ち上がることがあります。
数年前の秋、いとこの結婚式に出席するために、父の実家のある広島に帰省したときのことーー
式の翌日、天気が良かったので、東京に戻る前に父と厳島(通称:宮島)を観光することになりました。
そこで、広島駅のコインロッカーに余分な荷物を預けたのですが、僕は少しだけ片付けたい仕事もあったのでPCの入ったバッグを背負って行くことにしました。
「もし時間が余ったらどこかの喫茶店に入って作業させてほしい」と伝えると、父は、そうなった場合に読むための一冊の本を僕に預けて、残りの荷物を全てコインロッカーに入れました。
いざ、厳島へ。
* * *
まず、広島駅から、山陽本線で宮島口駅へ。🚈
そこから、フェリーに乗って厳島へ。⛴
ついでにロープウェーで紅葉谷まで登り、🚠
帰りは広電(路面電車)に乗って広島駅まで引き返しました。🚃
* * *
無事に駅に戻ってきた僕と父は、新幹線に乗り遅れることのないように、コインロッカーの荷物を取り出してから、広島駅構内のカフェに入ることにしました。
コーヒーを注文して、向かい合ってテーブル席に座り、例の仕事を片付けようと自分のバッグからPCを取り出すと、僕は、この時のために父から本を預かっていたことを思い出しました。
それを取り出して、「はい」と手渡した瞬間…
何か、自分が不思議なものを父に手渡したような気がして、少し間を置いて「はっ!!」と気がつきました。
コインロッカーから他の荷物を回収したあとで初めて登場したのだから、その本が僕に持ち運ばれていた意味は全くなかったことになる。
ただ、移動しただけ。
何ももたらさない純粋な移動。
それどころか、移動中にその本の存在を意識することすらなかった。
その本には、ただ、一緒に紅葉谷まで登ったという紛れもない事実だけが、知らず知らずのうちに付与されていました。
僕はこのときの特殊な気持ちを指して、暫定的に「純粋移動」と呼んでいます。
重要なポイントは、途中で一度でも父がその本を読んでいたとしたら、僕がその本を持ち運んでいたことに意義が生まれてしまい、それによって、このような特殊な感慨が立ち上がることは限りなく阻止されたのではないか、ということです。
全ての食卓は奇跡である
「だから何なんだ」と言われてしまえば、返す言葉は何もありません。
ただ、物の軌跡に思いを馳せるのは面白く、時として生の実感に通じるような気づきを与えてくれることがあると思うのです。
例えば、晩ご飯の食卓には、多かれ少なかれ、当たり前のように様々な食材が使われてます。
そして、それら全てが、別々の場所からそれぞれの軌跡を辿ってきて、見事に一つのテーブルの上に集結しています。
しかも、しばしば、日本にとどまらず、世界中から集結しているのです。
その一つ一つの個体が、途中で何か少しでも違う運命を辿っていたら、そこには存在しないはずです。
そういうあらゆる可能性を全て掻い潜って、長い旅の果てに(あるいは、まだ旅の最中に)、これらの食材が今まさにここに集まっているのだ、と思うと、全ての食卓が奇跡であると言っても過言ではない気がしてきます。
* * *
こういった考えを背景として作った、僕のバンドSPORTS MENのミュージック・ビデオがあるので、そのリンクを最後に貼り付けさせていただきます。
お弁当の食材が、スーパーの売り場に帰るまでを逆再生で描いています。
よかったらぜひ、ご覧ください!
最後までお読みくださりありとうございました!
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