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おあつい日々が続いておりますね〜

noteは徒然にエッセイをオデッセイ


生きているだけで

消費されるものはあるのですが

芸能人の方とかコンテンツとか

多くの方の目に触れるものって
どこか消費される感覚があるな〜と感じています。




モデルの富永愛さんと水原希子ちゃん(映画の中だったかな?)が言っていたような、、、

朧げな記憶なのですが、

モデルをしていると
消費される感覚になるとかなんとか。

アイデンティティが揺らぐというような
そんな話題を目にした記憶があります。


私の中で、受け取った意味として
変換されているかもしれませんけれどw


以前、ブログでオーラについて書いた記事があるのですが
モデルさんの言っていた消費の感覚って、

オーラの話でもあるな〜と感じます。


視ることも
見ることも

結構、エネルギーが消費されるのですが

視るは余計に消費される感じがあります。


ぶっちゃけ(笑)大変。



世の中は消費の時代で
形なく流れていくようにになっているので

あらゆるコンテンツが無料化してくのは当然の流れ。。。

そして、今までにない形で有料化していくのも自然の流れ。。。


お金の形もかわるというか、なくなるというか、
ポイントやゲームのコインみたいな感覚になっていく時代。


価値のあるもの
実態のあるもの
本当のもの

これは、幻想でも仮想でもなんでもいいけど、

見えなくてもそこに宿っているものがあれば
本物ってやつなんじゃないかな〜と

昔よりも感じるしだい。


何が宿っているか、その純度、芸への昇華ぐあいに価値があって


無料・有料に関係なく

生きて流れているものがある。


生きて流れているから、有料になっていくのは当然だな〜とも感じます。

(あ、自分のことは棚にあげてますよ。)



「全ては現世(うつしよ)で幻」


という考えに、個人的には一票(笑)

でも、実態としての存在も確かにあって、大切にしたいし、

見えない存在もちゃんと存在しているからめちゃくちゃ大切だし、


自分自身が、全ての流れの中の小さな歯車であることを

若い時はものすごく落胆して、
何か特別なことをしたいと感じたけれど、

今はものすごい
ある種の使命のごとく

淡々と一生懸命生きるのがいいな〜と思っているのです(笑)

(やる時はやるw)



でも、そんな自分の中で揺るがない

命というのがあって

そいつは私のものでもない感覚がありつつ

私でもあるという。。。。


背景とそれ以外にあるもの。

背景とちょっと違ってそこにあるもの。


そんな輪郭がちょうどいい。


さて。また意味がわからない文章になりましたがw



夏で脳みそが溶けてきたのだと思います。












戦争という分かりやすい
人間や命の消費の時代が少し遠くなっていますが

今は、分かりにくい形で
命の消費をされたり、している感じがします。


お役目を終えるのは自然の流れだけれど
消費は残念でならない。


それも人のサガなのか。。。?


命を燃やして生きる


息してるだけで燃えるし
情熱を傾けても燃える


燃やし方が選べる時代なのだから
自分を大切に扱っていく方へエネルギーをかける人が

少しでも増えたらいいな〜と
コツコツ活動しやす。


めざせ!小さな小さな世界平和 w



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