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第74話・1995年 『「熊本」に向け外国人監督』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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男女代表チームから「オリンピック」は遠ざかるばかりだ。

アトランタ・オリンピックのアジア予選はアジア選手権を兼ねて行なわれ、4月、韓国での女子は台湾からの1勝にとどまり脱落、9月、クウェートでの男子は3強による決勝リーグへ進めず退いた。

この年は初の24ヵ国制による世界選手権も開かれ、5月の第14回男子は1次リーグで消え、12月の第12回女子は16ヵ国による決勝トーナメントへ勝ち上がったものの、そこでストップ。優勝は韓国、女王の座を鮮やかに射止めた。

日本の代表強化対策はだれの目にも「危機」と映り、日本協会への愛好者の風当たりも全国連盟や地方協会を通じて強くなる。

男子は2年後熊本に「世界」を招く。日本協会は代表チームの指揮を外国人に委ねるとし、アトランタ・オリンピック予選(前述)に代表チームのアドバイザー(コーチ)として招いたオレ・オルソン(スウェーデン、同国元代表選手)の起用を決め、12月17日に発表した。

9月、明るい話題が伝わる。第10回世界女子ジュニア選手権(ブラジル)で日本のスピードプレーヤー、田中美音子(大阪・四天王寺高→大和銀行、現大阪ラヴィッツ)が6試合77点をあげ得点王に輝いた。田中はこのあと日本女子を代表する国際級選手として大活躍する。

広島県協会が前年の広島アジア大会のレガシーとして、毎年「ヒロシマ国際」のタイトルで国際大会を開催すると決めたのもうれしい動きだった。7月の初大会はヨーロッパ3ヵ国から3チームの男子有力クラブを招き日本代表も加わって行なわれた。

11月の第38回全日本学生選手権男子で名城大学(愛知)が関東・関西以外の学生リーグ代表として初の優勝を飾ったのは特筆される。2回戦で筑波大学を破って勢いに乗り、このあとの関東勢との連戦に快勝、栄冠をつかんだ。

所属する東海学生リーグは1953年愛知学芸大学(現・愛知教育大学)、岐阜大学、名古屋大学、名古屋工業大学、静岡大学、信州大学(長野、のちに北信越学生リーグ所属)などで発足、私立大学系チームの加盟が増えるのは1960年代になってからだ。名城大学は中京大学(愛知)とともに東・西各校を追う存在となり、リーグとしても宿願を実らせた。

第75回は10月6日公開です。


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