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第70話・1991年 『球界の成長示した広島でのアジア男女選手権』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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広島に男子12、女子5ヵ国が集まり第6回(女子第3回)アジア選手権がバルセロナ・オリンピック予選を兼ねて開かれた(8月)。

日本でこれだけのエントリーによる公式選手権が行なわれるのは初。日本ハンドボール界の成長と広島県協会の2年にわたるひたむきな準備、努力によって成功した。広島市は3年後にアジア大会を控えている。

バルセロナへの道は男女とも韓国が日本の前に立ちはだかった。男子は順調に決勝へ勝ち進んだが及ばず、ミュンヘン大会(1972年)以降の連続出場を断たれる衝撃となった。中東圏各国の進境もあり、90年代の厳しさを予感させる。

5ヵ国リーグの女子は前年の北京アジア大会で受けた不可解な順位決定をはねのけ、健闘したものの韓国に押し切られ2位。

韓国は3ヵ月後ソウルで第10回世界女子選手権をアジアで男女を通じて初の世界選手権として開くが、精彩を欠き11位。中国が8位。日本は1989年のアジア予選で敗退していた。

11月、ヨーロッパ・ハンドボール連盟(EHF)が誕生する。

これまで統括組織が生まれなかった不思議は、ヨーロッパ=世界の極めて一方的な思考によるものだった。ヨーロッパにおける国際大会の運営はすべて国際ハンドボール連盟(IHF。1946年結成)の手によって行なわれ、男女有力クラブによる人気イベント「ヨーロッパカップ」(現・EHFチャンピオンズリーグ)さえもIHFの手の中にあった。

国際ハンドボール界の多くの動きがIHF・ヨーロッパの力によって進められ、新しい力は流れ込めずに過ぎた。オリンピック定着から約20年、各大陸ハンドボール界に勢いがつき、いつまでもIHF自らが「ヨーロッパのスポーツ」の域から出ようとしない旧態に批判の目を向けた。

「EHF」は新しい時代到来というより古い時代に別れを告げる意味が大きかった。

広島でも公式・非公式を問わず諸会合でアジア・ハンドボール連盟(AHF。1976年結成)の中東圏の役員、関係者たちは「ヨーロッパ主導のIHF」へ対抗する姿勢をのぞかせていた。

6月、ユーゴスラビア内部で共和国の独立宣言が相次ぎ、12月には同様の流れでソ連が崩壊し消滅する歴史的な出来事があった。チェコとスロバキアの分立もあり、東ヨーロッパ勢が圧倒的な強さを誇る世界のハンドボールが、これから激動に見舞われるのは明らかだ――。

第71回は10月2日公開です。


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