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14.退行催眠中間域全記録~「新たな肉体を選ぶ」

マイケル・ニュートンというセラピストがまとめた、退行催眠による「死んだ後の世界~生まれる前の世界」、いわゆる「中間域」の記録を紹介しています。

ここでは、「新たな肉体を選ぶ」について記述しています。いよいよ「生まれ変わり」の具体的な肉体選びです。

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「新たな肉体を選ぶ」1.人生の下見

●人生の選択の場では、私たちの魂は、同じ時間のサイクル内の一人かそれ以上の候補者の人生を下見します。このエリアを去るときには、ほとんどの魂は自分の宿主として示された候補者の、だれを選ぶのかおおよその心積もりができています。しかしながら、スピリットの世界のアドバイザーは、最終的な決断を下す前に見たすべてのことを、じっくりと振り返ってみる十分な機会を私たちに与えてくれます。

●生物の頭脳とともに働くとき魂の心はきわめて不完全のものになります。魂がどんなレベルにあろうと、人間であるかぎり私たちは間違いを犯しますし、人生の途中で軌道修正が迫られます。これはどんな肉体を選ぼうと避けられないことです。しかしながら魂が宿らない人間の性格には、五感と生存のための基本的な衝動以上のものがないとしたら、魂こそ私たちの人格のすべてとも言えます。

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(※上記について考察します。
人生の下見をする・・・・これはどのように解釈すれば良いのでしょう?例えば、地上界で、A子さんが生まれてくるとして、そのA子さんの家族、友だち、A子さんの未来予想図のようなものも見られるのでしょうか?

しかし、未来予想図が示されたとしても、一度、肉体に入り込んでしまえば、ほぼ五感だけの閉ざされた世界の中で生きることになり、自由意思、選択で過ちも犯す場合があるでしょう。そのような事も考慮されて下見を行うのでしょうか?なんだか、膨大な作業のように思えますね。by spiritwind)

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「新たな肉体を選ぶ」2.カルマの解消

魂の自由意志によってなされたのではない、肉体の損傷を伴う本当に事故といえる事故は、私が扱ったケースのなかには一つもありませんでした。しかし、障害のある肉体を生きているからといって、過去世で他人を傷つけたためにカルマのツケを支払っているということでは必ずしもありません。私は被験者のケースからも、身体の障害を克服するのに必要な努力が進歩を加速させることを確信しています。この理解は自分自身の発見を通じてもたらされなければなりません。

●魂は自分の性格のさまざまな側面を発達させて、さらなる自己表現を求めているのです。多くの肉体を利用し、多様な身体的・心理的な手法が使われるにせよ、そこにはつねにカルマの法則が働いています。異なったチャレンジを生き抜くことで、私たちの魂のアイデンティティは強くなっていくのです。

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(※上記について考察します。

「突発的な事故は一つもない」という意味合いなのでしょうか?
「偶然というものは無い」という事でしょうか?
事故に合うのも自分の自由意志の延長だということでしょうか?
なんとなく理解できるものの、今の自分には咀嚼できません。
カルマの返済については、目には目を、歯には歯をという返済方法だけでなく、形を変えた返済方法もあるのでしょう。直近の生まれ変わりではカルマの返済が行われず、何回かの転生の後に行われる場合もあるでしょう。この辺りの詳細な分析は「神のみぞ知る」のではないでしょうか?もしくは、中間世へ行って答え合わせができるのかもしれません。by spiritwind)

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「新たな肉体を選ぶ」3.大きなカルマ

●自分自身に課した厳しい責務が、しばしば子ども時代にはじまることがあります。魂が家族の選択を重要視するのはこのためです。

・もしも子どもの頃にその人に出会うことがなかったら、いまのあなたからはどのような理解がかけていたでしょうか・・・?

 霊的な自己を知ることは、私たちが両親、きょうだい、配偶者、親友などと共に生きている、その理由を理解することなのです。身近な人から痛みや喜びを与えられるとき、そこにはなんらかのカルマ的な目的があります。ここで覚えておくべきことは、私たちは自分自身のレッスンを学ぶためだけでなく、他人の学びのドラマのなかでも役を演じるために、この世にやって来ているということです。

・互いに大きな役割を演じ合うことは究極の慈しみにほかなりません。

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(※上記について考察します。
ここに書かれていることは、受け手(読み手)によって、相当に理解が違うでしょうし、受け入れる事も困難な方もおられるでしょう。

このように「児童虐待」「貧困問題」「国家紛争・戦争」などの状況下を自分で選んで生まれてくるなんて冗談じゃないと・・・。

これらの事をどう理解すればよいのでしょうか?無理やりにでも、この転生の選択を説明するのであれば、個人的なカルマ、家族のカルマ、民族国家のカルマ等の複合ということになるのでしょうか?とても地上界では理解できかねます。by spiritwind)

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「新たな肉体を選ぶ」4.五欲の心

●魂がどのようにして、ある人生で一体となるべき人物を選ぶのかを見てきましたが、一体になったからといって、完全にその肉体をコントロールできるわけではありません。魂が肉体の衝動に取り付かれたり、人生の感情の浮き沈みに流されていると、この表面的な自己によって魂が堕落してしまうこともあります。

現世での行動の特徴にのみ基づいて性急に魂の成熟度を測ることは危険です。次の人生のために現在の人生では、エネルギーを温存していることもあるかもしれません。ある深い理由から、実際には進歩している魂が否定的な性格を選ぶこともあるかもしれません。

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(※上記について考察します。

肉体に宿り、地上界を生きる魂には、落とし穴がたくさんありそうです。

五欲の心の奴隷となるな!
五欲とは財欲・名誉欲・色欲・食欲・睡眠欲のことです。五欲を正しいものと肯定していては、いつまでも五欲の奴隷でいなければならないのです。「欲」とは「大いなる存在の光心、即ち本源心・本心の自覚の欠如している心の状態」です。
「欲」とは私心(業想念)の心であり、あれが欲しい・これが欲しいという利己的な願いであり、不平・不満・不足・妬み・愚痴・嘆き・失望・落胆・怒り等々の四苦八苦する心です。五欲の奴隷状態から解放され、自由になる為には、大いなる存在と一体の自覚・本心の自覚を深めてゆかなければならないのです。
人間は本来、大いなる存在と一体です。この真理を素直に肯定できるのが、本心の心です。これを傲慢に否定するのが、私心(業想念)の心です。人間が幸せ一杯に生きることが、大いなる存在の光心・願いなのですから、人間が幸せに生きる為に必要なものは、"既に"豊かに与えられているのです。だから本心の自覚を深めて、宇宙のすべては大いなる存在の愛の現れであると、心にしっかりと確認することです。"生かされている" この事実に気付けば、無限に深い感謝と賛嘆と喜びの心が、自然に湧き出てくるにちがいないのです。五欲を解脱する為には、感謝の心を輝かせて生きてゆけばよいのです。(「ありがとうございます」名も無きボランティアグループ著より)

この国の高度成長期の欲求事物は、マイホーム・マイカー、そして海外旅行でした。(80年代・総務省統計局)バブルの崩壊まで、これらを追い求め、それらを手に入れる事が一般的な「幸せ」の尺度でした。物欲の世界でしたね。そしてバブルの崩壊・・この「幸せ」をある程度手に入れた人も、手に入れられなかった人も、大きく「幸せ」に対する考え方が変わることになります。周りの人たちと比較する尺度からの幸せから、個々の人たちが作り上げる自分自身の幸せを考えるようになりつつあります。今どきの欲求事物は、時間・お金・健康だそうです。この30年余りで随分と様変わりしてきたものです。

それはともかく・・・

お金欲しい~、美味しいものを食べたい~、いっぱい寝たい~、あれが欲しい、これが欲しい~・・・と、五欲(睡眠欲・食欲・性欲・金欲・名誉欲)を満たす為に、一生懸命に働き、生きることはいけないのでしょうか?

労働意欲を支えているもの(オリコン2007年調べ20~40代)を見ると、収入(70%)、家族(35%)、仕事に対する責任(30%)、やりがい(30%)、夢(12%)・・・となっており、意外と昇進・出世・肩書きなど(3~5%)は低い結果のようです。

私的には、「生きる」あるいは「働く」ためのモチベーションを維持するには、五欲によるものが大きいのではないかと思いますがどうでしょう?

一方、生き易い環境かどうかを見るために、世界の自殺者数を比較してみます。日本の自殺率は24.4/10万人で8位、アメリカは11/10万人で42位。一方、福祉大国であるスウェーデンは12.7/10万人で28位、デンマークは11.9/10万人で33位となってます。。(2011年WHO調べ)福祉が行き届いていると思われる国でも、自殺者の数は結構多いのですね。アルコール中毒者も多いそうです。福祉が行き届いているがゆえに、子どもたちが親の面倒を見なくなって孤立化させたり、働かなくても暮らしていける等で自立心を妨げたりするのが要因だと言われています。いわゆる「生きがい」の低下が生きる意欲を低下させるのでしょう。

では、五欲以外に、どうすれば生きるモチベーションが高められ、維持できるのでしょうか?「本心で生きること」を目標に、そこからエネルギーを摂取し、モチベーションを維持するということなのでしょうか。この思考回路を作り上げる為には、五欲を糧にしては生きられないくらいの強烈な体験が必要なのかもしれません。心が空っぽになる位のどん底の状態を経験しなければ、そう簡単に五欲を解脱するのは難しいでしょう。しかし、そこから活路を見出すことができれば、大きな飛躍へと繋がることでしょうね。

若い頃は、五欲に突き動かされ、周りと競ったり、同年代の人たちと比較したり(結婚を焦ったりなど)、隣の芝生がよく見えたりするものです。しかし、勝気でトゲのある若者が、歳を重ねるに連れ性格が丸くなって協調性が出てきたり、身近な愛する人との死別を経験して考え方が変わったり、自らが死と向き合うような病に侵されて神さまに思いをめぐらせたりと転換期が訪れたりもします。更には、暴れん坊の暴走族だった人が、数年後に牧師さんになっていたり、全身麻痺に近いような事故に合われた方が、素晴らしい絵を描く芸術家になったりして、本心を大きく表現される方もおられます。

五欲の先にあるものへは、ある程度、年老いて枯れてこないと(枯れても執着する人もいるけど・笑)認識できないかもしれない(だんだん自分の死を意識し出す)けれど、五欲にかかずらわっていられない程の苦悩や挫折の体験なども、自ら見ている世界観を変えることでしょう。

いずれにしても、五欲を生きる為の根っこにするのではなく、五欲に執拗に捕らわれないように、五欲を薄め、本心から湧き出る隣人愛の実践や自分自身の行動・言動の正しい動機を見つめ、その衝動を根っこにし、そこから生命エネルギーを摂取できるようになれば「生きがい」を持てるようになるのではないでしょうか。この摂取方法を維持していく為には、常に独り静かに自分自身の内側を見つめる時間を作ったり、大いなる存在や各々の本心の顕れである真理の言葉や心を打つ事象、自然(四季の移り変わりや花や生物)、芸術(音楽、絵画等)などに自分の思考の周波数を同期させ、そこへ自分自身の身を置いておくことが良いのではないかと思います。とはいえ、そう簡単にその理想的な境地に達することはないでしょう。でも、一日の終わりにうまくいかなかったなあ、駄目だったなあ、と思っても、また翌日から実践すればいいのです。にんげんだもの(相田みつを)・笑 継続は力なり! by spiritwind)

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