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浜松医大付属病院で胆のう摘出手術を受ける

Y社を退職した後、転職先のJICA、JOCV調整員の研修が始まりました。自宅は、Y社の配慮で社宅の家賃全額自己負担の状態であれば期限を設けず居住できると言ってもらっていました。

研修中は、都内のウィークリー・マンションから研修場所への通勤を続けていました。研修中も体調不良はずっと継続してました。腹痛の他、腋や首のリンパ腺が晴れたような感じがして、微熱も続いてました。渋谷の日赤病院へ検査に行くことにしました。研修中ずっと1日に1診療科で検査を続けて、結果は胆石症と診断されました。日赤病院の医者に2年間南米のエクアドル国へ派遣されると伝えると、2年分の痛み止めを持参するか手術で胆石を摘出するかだと言われました。

JOCV事務局は、顧問医(感染症、心療内科)が居ます。顧問医に相談すると紹介状を書くから居住地を教えるように言われました。そして磐田市からだと浜松医大付属病院が良いと言われ、紹介状を書いてもらいました。研修も終わり、他の調整員は派遣の為、一旦帰郷して準備を進める中、私は1ヵ月遅れの派遣としてもらい、胆石手術をすることになりました。

JOCV顧問医に書いてもらった紹介状を持参して、浜松医大付属病院へ行き当該の診療科で胆石手術をしてもらいたい旨をお願いし、紹介状を手渡しました。その医者は、紹介状をじっと読んでました。そして顔を上げて「誰ですか、この顧問医って?」と返事してきました。笑ってしまいました。医者は、「まあ、あなたが国際協力ででられることに敬意を表し、優先して手術をいたしますが、私たちにも検査させてくださいよ」と親切に対応して頂きました。

私の場合、胆のうから肝臓へでている血管が普通1本のところ2本あることが分かり、安全を考慮して腹腔鏡手術ではなく、腹部切開手術となりました。病室では古株の患者から「何曜日に手術ですか?」と訊かれて「金曜日の午後です」と答えると、「なんだ、それなんでもない手術だね。俺なんか月曜日の朝だもんね」と、、。どうやら難しい手術は、月曜日の朝で、それからだんだん難易度が下がっていき金曜日の午後は、どうでもいいような簡単な手術と説明されました。患者はよく知っているものだと思いました。

手術の結果、胆のう摘出を行いました。術後に胆のう内の胆石を見たら親指の第一関節部分と同等の大きさの丸い黒飴のような石が5つほどありました。これには驚きました。こんな大きな石が5つも胆のうの中にあったなんて、そりゃあ痛いはずだと、。医者に原因を尋ねると、「ストレス」「アルコール」「脂っこい食事」が主要因だとのことでした。15年間のY社勤務の垢が取れた感じでした。

その後、抜糸をすませていよいよ派遣となり社宅を引き払う日にY社の人事課より担当者2名が来て社宅内のチェックを行いました。そして「お体に気を付けて健闘を願っています」と丁寧に挨拶されました。派遣は1ヵ月遅れの1997年10月無事エクアドル国キトに到着しました。

注:胆のうは油を分解する胆汁を濃縮する役目を持っているそうです。しかし、胆汁そのものは肝臓が作り出しているそうです。従って、胆のうを摘出しても胆汁がなくなることはなく、肝臓が肩代わりして濃い胆汁をだすようになるとのことです。

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