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パリ、ハンブルグで数千台の芝刈り機の改修作業

復職後の最初の海外出張は、1989年のフランスのパリとドイツのハンブルグだと記憶しています。どちらも保税庫に保管されていた数千台の芝刈り機の改修を行うことがミッションでした。欧州市場で販売不振となってるエンジン始動不良の対策部品の組み込み他、ホイールラバーの材質変更などを現地作業員を雇用して改修を行うことでした。日本からは改修隊のまとめ役の私を含めて3名で出張しました。

どちらから取り組んだかは記憶が曖昧ですが、ハンブルグは2週間の作業でパリは1ヶ月の作業となりました。ハンブルグの作業場所は、港内にある保税倉庫でした。現地調達の作業者は、6~7名くらいでした。ドイツの作業者は一瞬勤勉に良く働き几帳面なところ見せましたが作業台の下にウィスキー瓶を置いて休息時間にラッパ飲みしてました。仕事はしっかりやっているようでしたから飲まないようにとは言わなかったです。倉庫の現場責任者は現場確認には、愛車のハーレーダビッドソンで乗りつけてきてました。宿泊ホテルは、アウトバーンで郊外へ30分くらい出た森の中にあり、毎朝クラシック音楽を車内で流しながらドイツの森の中を走る気持ちよさが強く記憶に残っています。ドイツでは計画通りに作業は終了してパリへレンタカーで移動しました。

パリの作業場所は、シャルル・ドゴール空港近くの倉庫群内の一箇所で行いました。現地調達の作業者は約10名くらいで1~2名がフランス人で残りは全員アルジェリア人でした。作業量が多く、また作業者も多く、ハンブルグと比べると埃っぽい倉庫でした。レンタカーで移動して気付いた点はドイツからフランスへ入ると突然道路にゴミが落ちていたりしてお国柄を感じました。パリでは作業者への作業指導に手こずりました。まず、英語が通じずスペン語を理解する作業者がいたので彼を通じて作業指導を行いましたが、皆が作業を始めると個々人の作業の様子を見て指摘するには言葉の壁を感じ、開き直って日本語でどんどん話しかけるようにしました。そうすると相手にも通じたのか「Oui!」とか返事をされて笑ってしまいました。作業文脈を双方が理解しての指導だからコミュニケーションが成立したのだと思います。

パリの倉庫で驚いたのは昼食時にワインを飲むことです。食堂のような場所があり、皆そこで定食のような昼食を摂りますが、ワインとデザートはしっかり付いてきます。さすが食文化のフランスだと思いました。

途中、改修部品の日本からの到着が遅れ数日作業に支障がでましたが、無事完了してアムステルダムの欧州本社へ作業完了報告をして帰国しました。残念ながらその後も販売不振が続き、数年後には芝刈り機市場からの撤退をせざると得なかったのです。芝の性質からノウハウを得なければならないような製品を作るにはエンジンメーカーとして厳しかったのかも知れません。

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