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懐かしい写真から Y社職場の同僚

たぶん1990年頃の写真で、この写真がそのまま勤務していたY社の社報の表紙になりました。場所は、新館(技術棟ビル)の裏でデザイン棟の横の空き地でした。今は大きなビルが建っているようです。特機事業部サービス部の海外サービスと国内サービスの全メンバー、何人か海外出張中で写真に写っていませんが、、。前列真ん中の部長は、サム石田と呼ばれていました。懐かしいですね。

この写真でも職場では最年少でした。勤務していた事業部は営業部が国内営業部と海外営業部に分かれていてその下部組織としてサービス課がそれぞれにありましたが、組織統合してサービス部として発足して初代の部長がサムさんだった訳です。サムさんは元レーシングチーム(ファクトリーチーム)の監督を務めていてヨーロッパやアメリカでのレーシングチームの現場を指揮していたそうです。その後、米国法人の副社長で長く勤務されていました。本人は至って明るくべらんめえ調に日本語も英語も話す人で契約ライダーからも信頼されていたようです。一度、レーシングチームの監督の仕事がどんなものか訊いたことがあります。すると「大したことないよ、レースが終わったらホワイトボードに次のレースまでやることを書き出して、各マシンの交換する部品を全部書き出して、それを全部メカニックにやってもらうだけだから」とサラッと言ってました。海外のライダーが来日すると必ず彼のデスクへ挨拶に来ていました。ケニー・ロバーツもその1人でした。

サムさんは良い部長でした。海外出張レポートの宛先は誰だ!とか、業務連絡は誰に何をやってもらいたいんだ!とか仕事の基本中の基本をピンポイントでサラッと訊いてきたり、ページ当たりの情報量が多過ぎるからもう少し余裕を持って書きなさいとか助言をくれました。一時期、仕事が退屈に思えて先輩に不満を漏らしていたら、部長の耳に入ったのか部長のデスクまで呼ばれて「今期はもう直ぐ終わるけど、実は予算がちょっと余ってるんだよ。お前、1週間くらいメキシコへ遊びに行ってこい。息抜きだと思って行ってこいよ。仕事したければ向こうの子会社に連絡してもいいから」とびっくりするようなことを言われました。流石に最年少で先輩が仕事をしてるときに1週間もメキシコに遊びに行くのは気が引けてお断りしましたが、部長はどうやら本気のようでした。

海外出張中で写真に入ってない先輩がいます。彼とはモンゴル出張で2回も一緒に行きました。よく学ばせてもらいました。中国、ベトナムを担当していた時だと思います。その後、中南米も加わったので忙しい日々を送っていた頃です。懐かしい。

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