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エクアドル、キト日本人学校のPTA会長を任命される

キト日本人学校、今は児童の減少で閉校されていると思います。私が駐在していた時、日本人学校の先生からコンタクトがあり、長女が幼稚園の年長に当たる年を迎えてることから、1年早くキト日本人学校へ入学してくれないか?と言うのが依頼でした。こちらとしては適当な幼稚園を探すのも面倒なのでスクールバスで迎えに来てくれる日本人学校であれば問題無いと思い承諾しました。

当時の日本人学校の生徒数は15~6人くらいだったと思います。もしかしたらもう少し少なかったかもしれません。立派な校舎と運動場、キト警察学校の近くでもありました。しかし、問題は生徒の半数以上は日本人学校の教師の子弟でした。自分の子の教育を学校でやると言った冗談のような状況でした。数人の日本人永住者の子弟とエクアドル人(日本人ではなく現地人)、そして私の娘のような幼稚園年長の繰り上げ入学させてなんとか生徒数を増やそうとしていました。

娘の入学も決まり、入学式の1カ月くらい前でしょうか、今度は日本人学校の先生より、PTA会長になってもらいたいと頼まれました。生徒の父兄からPTA会長を選出しますが、学校の先生は候補にならず、エクアドル人の父兄から選ぶわけにもいかず、永住日本人は子供とエクアドル人の母親がキトに住んで、日本人の父親はグアヤキルに居住している。消去法でいっても私しか適任者がいないと言ってきました。でも娘は正規の生徒ではなく幼稚園或いは学習塾のような感じで授業に参加するだけなのに父兄の代表でいいのですか?というのが素朴な疑問。関係ない、背に腹は代えられないと言われ、人助けと思い受けることにしました。

そんな中、また日本人学校の先生から依頼が来ます。私がPTA会長を務める年は、創立25周年記念行事を行う年でした。その式典に間に合うように記念誌の作成の委員長をやって欲しいとの依頼でした。もうここまで来たら固辞しても仕方なし、承諾して年間スケジュールを作り、印刷会社との交渉などもやりました。

記念行事にはいつもの年とは違って経費が発生します。教師の人件費は日本の文部省が負担しますが、それ以外は生徒の授業料と在エクアドルの日系企業の社長で構成された理事会を通じて企業からの献金に頼っていました。私も肩書がPTA会長であることからその臨時経費捻出をお願いする理事会に出席したことがあります。校長、教頭、担当教師、PTA会長が学校側、理事会の理事長は三井物産社長、他は日商岩井社長、もう1社の日系企業。

理事会は、はっきり言って見てはいけないものを見てしまったという光景でした。東大卒の三井物産社長が日本人学校の校長始め、教師を罵るワンマンショーでした。JICAの肩書の私にはODA情報を取りたい下心からか、とても親切に対応してもらいましたが、学校の先生に対する態度はひどかった。校長は、まるで土下座するように献金をお願いしてました。

会が終わって、ちょっと飲み直しと担当教師が言い出して、どこかのレストランで飲み始めると、まるで溜まったマグマが噴き出すように校長が喚きだしました「東大卒がなんだ~偉そうに!」。私はびっくりして担当教師に「校長先生、荒れてますけど大丈夫ですか?」、「理事会の後は、いつもこうなんですよ。ご心配なく」と。複雑な駐在日本人の人間関係模様を見せつけられました。

学校の行事の度に校長に続き挨拶しなければならない羽目になってしまいました。そして肝心の25周年記念行事は、私の帰任日の後に予定されていたので、準備だけして帰国するということになりました。結構卒業生もいるようですから学校を無くしてはならないと教師の方々が努力されてたのでしょうが、エクアドル人を入学させてまで日本人学校を名乗るのはどうかと思いました。ちなみに日本大使館職員の子弟は、皆アメリカンスクールに通学してました。この辺も複雑な感じでしたね。

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