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懐かしい写真から 61年2次隊ペルー国派遣の8名

もう35年も前のことになります。それでも今も交流の続く友人がいることに縁の不思議を感じます。メキシコのクエルナバカでの語学訓練を終えてリマに到着した日の夜の連絡所と呼ばれる大きな家での歓迎会の写真。広い居間でしたね、35~6人くらい居たと思いますが、全然狭く感じなかったから大きな家でした。同期の職種は、右から「野球」「工作機械」「自動車整備」「体育」「土木」「土木」「ソフトボール」「音楽:クラリネット」と土木以外は、ほぼ教育現場に派遣されました。

それぞれの任地は、「野球」「体育」「ソフトボール」「音楽」が首都のリマで、地方はアレキッパ、イキトス、ワンカバンバ他でした。地方隊員は、半年に一度、当時はA型肝炎予防注射、ガンマグロブリンの接種と健康診断を兼ねてリマに上京する時が日本食を食べれる機会でした。ほぼ一人で地方の任地にいた私は日本語を話す機会にもなりました。

当時、調整員をやられていた下藤さんの奥様の実家、イナガキ家には大変お世話になりました。リマに上京すると連絡所ではなく、イナガキさんの自宅に泊まれと毎回誘われてお言葉に甘えてホームステイをさせていただきました。下藤さんも仕事の後、奥様の実家で夕食を摂ってたので良く会話することができました。でも下藤さんよりも奥様のキヨミと良く話をしました。今でもたまにFB越しにメッセージを交換したりしています。

私が任期を終えて帰国、復職してからしばらくすると、このお世話になったイナガキ家のご両親が来日しました。当時、国内勤務をされていた下藤さん宅へ遊びに来ていました。私は自家用車を運転してご両親を京都旅行に連れ出しました。ご両親からは「ペルーで会った隊員の人たちに日本に来たら連絡してください、色々なところを紹介しますと言われたけれど、本当に来たのはあなただけです」と言われました。えっ、本当⁉と思いましたが、、。

キヨミとはその後、パナマで再会しました。面白い縁です。

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