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ホーチミン市での定宿はレックス・ホテルでした

初めてホーチミン市へ出張したのは1989年頃だったと思います。当時は、米国との国交が無く、自由主義国(西側国)からの旅行者のホテル滞在は近くの公安へ登録しなければなりませんでした。登録証明を出国時に提示できないと100米ドルの罰金が徴収されると言われたことを覚えています。街には普通にアオザイ姿の女性が多く質素ながら優雅な感じが漂っていました。

その最初の出張で宿泊したのが、ホーチミン市庁舎と目と鼻の先にあるレックス・ホテル(Rex Hotel)でした。周辺にはホテルらしいホテルの無い頃でしたから、このホテルが一際豪華に見えました。当時からNHKワールドの放送は客室で観ることができました。大きなレストランが3階か4階くらいにあり、夕食時はベトナム民族楽器を使った生演奏を毎晩やっていました。二胡など今では結構ポピュラーな楽器もその時初めて知りました。演奏レベルは相当高かったと記憶しています。

週末になるとホテルの周りはオートバイで通りは埋め尽くされるような感じでした。99%のオートバイは、H社のカブと呼ばれるアンダーボーンフレームの50~90ccのものでした。当時はオートバイのことをホンダ(代名詞として)と呼んでました。だから他社のオートバイは、例えばヤマハのホンダとか呼ばれていました。

レックス・ホテル屋上の半分はオープン・テラスになっていて、彼らが言うところのカフェ・セ・ラ(Cafe C'est Lait?)を注文すると濃い熱々のコーヒーと練乳、クラッシュされた氷の入ったグラスがでてきます。アルミの濾し器のようなものからコーヒーをグラスに注ぎ、練乳を注いで細くて長い耳かきのようなスプーンでガシャガシャ上下に混ぜて冷たいカフェ・セ・ラを飲む。この飲み物フランス統治時代からホーチミン(旧サイゴン)に定着したのでしょうから、きっとフランス語なのでしょうね。最初は、こんなの甘過ぎと思っていたら、だんだんと太陽降り注ぐテラスで飲むにはちょうど良い飲み物だと感じれるようになり、いつの間にかこのホテルに宿泊する度にテラスで注文するようになっていました。

当時の街の風景は、広告看板も少なくほとんどが地元のもの。米国の広告は一切ありませんでした。外国の広告と分かるものは1つだけ、ヒサモトのサロンパスの大きな看板がありました。ホーチミンの中央市場へ歩いていく途中に一際大きな看板だったので覚えています。サロンパスはベトナムでも需要あるんだなと漠然と思いながら歩いてました。今からでは考えられないような昔の話のようですが、30年前まではそうでした。レックス・ホテルの外観も随分と変わりました。

当時の観光と言えば、サイゴン川を遊覧する船に乗ってベトナム戦争当時に川に置き去りにされた朽ちた米国海軍の軍艦に人が住み着いている横を抜けてサイゴン川から街をながめること。それと郊外にあるベトコンの地下トンネルがみものでした。今は随分と整備されて観光化がなされていると思いますが、30年前は少し朽ちたトンネルがそこら中にあり、数十キロ爆弾で地面が大きくクレーターのように抉られたところなどを散策するものでした。複雑で色々な部屋があり、戦時中によくこんなもの作れたなと感心しました。

1989年から毎年訪問して1993年か1994年で転職のため一旦行かなくなりましたが、2015年くらいに再び訪問した時は、街はまったく様変わりしてました。そこら中におしゃれなカフェ、マッサージ、高層ビルが建ち驚きました。しかし、人々の活気は昔も今も変わらないなと思いました。人々は明るい明日を信じているのだと思います。

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