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『キューポラのある街』(1962年)浦山桐郎監督

『キューポラのある街』を45年振りに観た。若き日に観た時は、途中で寝込んだのかよく覚えていなかったけど、今回はよく出来た映画だと感動した。原作小説のある作品だけにテーマも状況設定も当時の労働者の街をよく表現できていると思った。

浦山桐郎監督の名は覚えていたけど、今回目に付いたのは脚本の共同執筆者に今村昌平の名があったのに改めて驚いた。

物語は、長女で女子中学3年生ジュン(吉永小百合)の家庭を中心に描かれている。鋳物職人気質の飲んだくれの父親(東野英治郎)は、扶養家族の経済状況も顧みず労働者ではなく職人として仕事をしたく、気に食わないと会社を辞めてしまう有り様。新たに赤ちゃんを産んで兄弟が4人になり生活は困窮を極め、ジョンもこっそりと朝鮮人娘の同級生と一緒にパチンコ屋でアルバイト(台の裏で玉の補充をする)を始める。高校へ進学したいジュンの中学の担任は、母親を説得するも娘の進学に両親は理解を示さない。担任は修学旅行前にジュンに旅行費は市から貸してもらえ、返済はいつでもいいとお金を渡されるが、友人の父親の紹介で就職できた大手鋳物工場を父親はあっさりと辞めてしまう。理由は、職人を機械のボタンを押す労働者扱いするのが気に食わないと言う。ジュンは、「仕事に上下はない」と友人の父親が親切に紹介してくれた就職口を辞めた父親に反発し、修学旅行当日に行方をくらます。その日は不良連中睡眠薬を盛られた飲み物で昏睡して、絡まれたり、逃げる途中で怪我をしたりと散々な思いをする。

中学の作文で、ジュンは「貧しいから泥酔して喧嘩する弱い人間になるのか、弱い人間だから貧しくなるのか私には分からない」の一文に担任は目を留める。友達の家族が北朝鮮へ帰ると担任共々駅へ見送りに行く、その時、同級生朝鮮人娘から親友のジュンに自身が使ってた自転車を譲られる。ジュンは、結局就職して夜間の高校で勉強を続けることを決心する。労働組合が動いて長年勤めていて解雇された元職場へ高待遇で復職できた父親は、高校へ行かせてやるから就職しなくてもいいとジュンを説得するが、彼女は「家族の為に就職するのではなく、自分の為にする」と言う。働きながら勉強を続けている人たちから多くの事を学べるとも言う。

最後は、北朝鮮へ行った朝鮮人家族の息子(ジュンの弟の友達)が、一旦母親一人日本に残して寂しいと一人で戻って来るが、母親は既に結婚してたと塞ぎ込んで再び北朝鮮へ発つ列車を見送って終わる。

なんと言っても17歳の吉永小百合は、素晴らしいの一言。若々しさと元気いっぱいの女子中学生は、日本の戦後復興の象徴だと良く分かる。日本人、朝鮮人の区別無く子供たちは遊んでいた風景など、懐かしい。牛乳泥棒したジュンの弟とその友達の朝鮮人が、配達少年が「お前達に盗られた牛乳代金を弁済して給与無く、母親の病気治療ができない」と泣きながら訴えられるシーンを見て、現実に引き戻される。ペルーの首都リマの犯罪の多くは、携帯電話の盗難、露天商人や小店舗、売春婦へのみかじめ料請求、強盗等々。主にベネズエラ人がやってきて凶悪化した。被害者たちは貧しく日々生活するのがやっと、。彼らを襲って金を毟り取る。泣きながらTVニュースのレポーターに答える被害者映像は毎日のように流される。

このような犯罪を犯す逮捕された犯罪者は、身体中に刺青、ピアスをして、野球帽子を斜めに被りスポーツ、芸能人気取りの容姿がニュースで流される。犯罪組織のアジトは高級住宅のプール付き豪邸であったりと貧困が故の反動なのか、。キューポラのある街のジュンのような気持ちを持つ若者が活躍できるペルー社会になればとも映画を観て思った。

時々、昭和を古い考えの人たちの揶揄として使われるようだけど、苦難をバネに活躍した昭和の人たちは多い。

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