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アビマエル・グスマン死去のニュースを読んで。

センデロ・ルミノッソという毛沢東思想の極左テロ組織のことは、ペルーを始めて訪問する前にも多少は情報として得ていましたし、その経験も『テロ組織センデロ・ルミノッソの時代』に書き以前投稿しました。

私自身にとってはテロの恐怖の原点でした。確か当時年間に2500人ほどの犠牲者がでていたのではと記憶しています。毛沢東思想がベースにあるので、農民による武装蜂起を行い白人支配(クリオーヨ)を終わらせて共産主義国家を設立することが目的でした。暗殺のターゲットは、外国人や支配階級の白人、政府高官・役人などでした。アヤクーチョ県から始まった組織の活動のため、アンデス山脈に沿って山間部を共産主義の街へ変革させならが首都リマに近付いてくるような活動でした。その為、一部の山岳地帯は外国人の渡航禁止がありました。首都は夜間外出禁止令(1AM~5AM)が敷かれてました。

「泣く子も黙る」とはよく言ったもので、本当に恐怖のどん底に国を陥れたテロ組織でした。それから見ると普通の犯罪、スリや置き引きなど大したことないと思えるほどだったと記憶しています。空港では軍隊が警備をして銃口を顔に向けられて身分証明書を提示させられるなどの気持ちの悪い思いをしました。

その組織のリーダーが死去したとのニュースを聞いて、やっと暗い一時代が終わったと思いました。彼を捕まえたのはフジモリ大統領です。フジモリ氏は、後に公金横領と人権侵害で訴えられて有罪になりました。これについては功罪、判断は、難しいところです。当時のペルーで公金の額の大小はあるにせよ、役人で公金横領しない人がいるのか?と言いたくなるくらいどこでも聞く話で、賄賂は日常のことでした。人権侵害はテロ捜査時の尋問で拷問の末に何人かを死亡させたというのが罪に問われました。

今年の大統領選挙で左派のカスティージョ候補が当選し大統領になりました。中学の教師でした。大学の哲学教授だったアビマエル・グスマンと同じように教師で左派、共産主義者とのイメージからケイコ・フジモリを応援した人は多いと思います。ただ、それは1980年代のペルーを知っている人たちですから、それはもう社会では少数になってしまったってことだと思います。

新大統領の言う“No debería haber gente pobre en un país rico”.を自由と民主主義を維持して実現してもらいたいです。

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