見出し画像

JICAボランティアへ参加しようと思った理由

毎日、本社で悶々としていました。私の机の周りの先輩、ひとりは当時中国を担当していて中国語、英語、スペイン語を使ってました。目の前の先輩は、英語とスペイン語、左斜め前は、英語とフランス語、隣の先輩は英語とスワヒリ語など、大体2つの外国語は当たり前の職場でした。そして海外から来社して来る代理店の面々を相手に会議してる姿を見て、あのレベルに到達するにはやっぱりどう計算しても3年、いや5年から10年くらいかかるだろうなぁと思ってました。

或る日、同じ事業部の他部署の柿本課長と言う人が、私のまわりをウロウロしながら「○○くん、辛いな毎日、、えっ?」、「はい」、「ちょっと離れたとこから見てても分かるよ。言葉ができないとどうしようもないよな~、、。ところで、こんなとこでデスクワークしてても外国語も海外での活動する力も付かないよ」、「そうですよね〜」、「JICAって知ってるか?」、「知りません」、「国際協力事業団って言って青年海外協力隊事業ってのをやってるんだよ」。「ヘェ〜、何なんですか?」。「お前の周り、変な先輩ばっかりだろ? みんなOBだよ。」、「??」、「あいつはケニア、あいつはタンザニア、あいつはチュニジア、あいつはホンジュラス、、そして私がモロッコ」、「柿本さんもOBですか?」、「そうよ!それも1期生よ」。「ちょっと研修のつもりで行ってきたらどうだ⁉︎」「どうやったら行けるんですか?」、「えっ⁉︎ 行くか?どこでも行きたい所へ行かせてやるよ。事務局の小野顧問に頼めば良いだけだよ」

しかし、上司の課長に相談すると「柿さんに唆されたな?」、「お前は転勤して来たばかりじゃないか、今じゃ無く参加時期を一回ずらせそれまでに気が変わらなければ行ってこい」と言われました。この間に人事部が休職参加制度をまとめていたのです。私がJOCVへ興味を持ったことで先輩たちの態度が変わりました。彼らは皆、中途入社組でアフリカ、中近東、中南米、東南アジア、インドでもの凄い活躍をしてましたが、プロパーで海外部門へ来た人たちは、大体が国立の外語大或いは有名私立大出身者で先進国市場の北米、欧州の担当でしたから私もそうなると思ってたようです。ところが私が一般地と呼ばれていた市場に興味を持っている事が気に入られたのだと思います。

1回ずらしても気は変わらず、受験することになりました。柿本課長はJOCVの小野顧問へ電話をして「こんど内の若い社員が受けますので宜しく」と告げました。先方からは、行きたい国だけはっきり言ってもらえればいいとのことでした。とは言っても自動車整備で二輪が主体の要件の場所は、地球上に1ヶ所(ペルー国、イキトス市:初等職業訓練学校)だけでしたから選択肢はなかったです。

職場の先輩からは、2年間の研修だと思って行ってこいと言われました。口の悪い同僚には、辛くて逃げたなと、、。半分当たってました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?