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大学院で研究しようと思った切っ掛け

イスラエル企業のサービスを元に日本市場向けビジネス・モデルを構想して事業計画を作成しました。首尾よく親会社の取締役会で承認され社内ベンチャー企業を設立して事業を立ち上げる事になりました。

サービス内容はコンピュータを使った教育コンテンツの配信事業でした。コンテンツはイスラエル企業が開発し、その日本語化とシステム上の各種ツールの開発、カスタマイズを行うことが立ち上げたベンチャー企業の事業でした。いわゆるeラーニングと呼ばれ始めた頃の話です。学問的な分野では教育工学の知見が必要になります。教育学とは異なり工学ですから教育をエンジニアリングとして捉えて実現するものです。

事業としてやるにはある程度の専門知識は付けなければなりません。当時、教育工学という名詞を本のタイトルに付けていたのは、W大学の向後千春先生のものしか無かったように記憶してます。早速、購入して読むとどうやら向後千春先生には色々刺激を受けている先生がいることが分かりました。その人は岩手県立大学の教授をされていた鈴木克明先生でした。さすがに鈴木先生がいる岩手県立大学へ行って勉強する訳には行かず、eスクールを提供していたW大学へ入学することにしました。試験は、小論文と面接で、一次試験に合格し二次試験を小手指キャンパスで受験しました。入学後、1年目で教育工学、eラーニングに関係する科目すべての単位を取得しました。しかし、学部卒のための単位は卒論単位も含め他に多くの科目も取得しなければならいのですが、学士取得を目的にしていなかったので退学することを考えていました。入学金、科目登録料はまったく他の学生と同じでした。

ちょうどそのころ日本にもeラーニング・コンソーシアムが設立され、夏と冬にカンファレンスが開催されていました。W大学で学んでいたある年の冬のカンファレンスに参加すると鈴木克明先生の講演で来年度から国立K大学大学院で教授システム学専攻の専攻長に就任することが発表されました。これはいいぞと思いまたした。たまたま、その講演のあとにトイレでばったり鈴木先生に会い「先生、岩手県立大学からK大学大学院に移るんですね?」「そうだよ」「僕なんかが受験しても良いですかね?」「いいよ、受けてよ」と言われ、実際に受験して合格したのでW大学にはっきりと退学の旨を伝えることができました。その後、W大の教授会で私の退学が認められて、ご丁寧に電話で「退学の承認が得られました、K大学大学院で研究を続けられるとのこと、今後色々学会でお会いするかもしれませんので宜しくお願いします」と連絡を頂きました。

そもそもなぜ大学へ行ってまで専門知識を得ようと思ったかと言うと、新事業のサービスを国立Q大学の教養があった六本松キャンパスの鈴木右文先生へ営業に出向いたことでした。eラーニング教材であるコンテンツには興味を示されたけれども、教育効果の理論的な背景の説明を求められ構成主義学習理論の意味も分からず教育の専門家のところへ出向いたことを恥じました。この先生は、「私たちは専門家として教育を行っています、ただ面白そうなコンテンツというだけで授業で使うわけには行きません。しっかりした理論的な裏付けが必要なのです」と言われ「先生の仰ることはまったくごもっともです。勉強して出直します」と返事しました。これが直接の引き金になり教育工学の道へ進むことになりました。

W大学で向後千春先生の科目のある学科で1年間の教育工学関連を勉強してから、K大学大学院の2年間の研究が始まることになりました。会社務め、それもベンチャー企業の社長業と並行しての3年間は結構ハードなものになりました。自己啓発の投資も相当な金額になりました。

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