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ホセ(ペペ)イシツカ氏への追悼文を読んで

昨年だったか突然の訃報を聞きました。と言っても1988年以降再会することもなく、たまにペルーのワンカヨの天文台が日本のTV番組で紹介されたり、こんなところに日本人がいるなどで取り上げられると(モト冬樹氏が訪問)、「へえ~ぺぺ、元気そうじゃん!」と観ていたくらいでした。

当時は、まだリマのサラベリー大通りに面したところにあったJICA事務所でアルバイトをやるような大学生だったと記憶しています。協力隊の歓迎会などにも出席していました。『懐かしい写真から 青年海外協力隊の任国(ペルー)到着の夜』に掲載した写真では青いシャツを着て一番後で写ってます。右手前のソファに座って後ろ向きに写っている女性が奥様になりました。高名な石塚博士の息子さんであることは知っていました。日本への留学を考えている時だったと思います。追悼文を読んで分かったことは、奥様の故郷にある鹿児島大学で修士を取得して、東京大学で博士号を取得されたようです。その後、日本の国立天文台での勤務を経てペルーへ帰国されたようです。

ペルーでは、ワンカヨの天文台の所長として父親の後を継ぐと同時にペルー国の天文学教育の要職を務められていたようです。何人かの日本人研究者が書かれた追悼文からぺぺの影響力が感じ取れます。時間が経つのは早いもので、訃報を聞いたときは「えっ、あのぺぺが!」と思いました。

当時は、センデロ・ルミノッソのテロ活動が盛んな山岳地帯には立ち入り禁止をJICA事務所の方針で告知されていたので行く機会がありませんでした。ワンカヨの天文台はテロに襲撃されたこともありました。機会を作ってワンカヨの天文台を訪問したいと思います。


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