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ウランバートルの街を最初の西側国オートバイで走る

二回目のモンゴル出張を計画している時に、前回現地で移動の足が無くて動きが取れませんでした。タクシーが極端に少なく、言葉が通じないので行き先を言えません。辞書片手に「まっすぐ」「右、左」、「止まれ」くらいの語彙で目的地に着くような感じでした。この次はもっと自由に動けるように連絡車が必要だとなりました。

アイデアとしては、ビジネスバイクYB90を手荷物で持っていこうとなりました。先輩が先陣で現地入りするのに合わせて私がYB90を分解して段ボール箱5~6個に詰めて手荷物で飛行機へ持ち込めるようにしました。先輩は、ホテルの部屋でそれらを組み立てて使ってました。彼曰く、段ボール箱を沢山部屋に持ち込んだとものをホテルの人に見られて驚かれたけど、オートバイを抱えて階段を下りてきたのにはもっと驚かれたと。

私がウランバートル・ホテル入りした時には、ホテルの前にYB90は駐車してました。多分モンゴルでは最初の公道を走る西側国のオートバイだったと思います。それからは私の足になりました。ウランバートルの街をYB90で走り回りました。当然、ヘルメット着用などの道交法は分かりませんが、被っている人を見たことなかったので、ヘルメットなしで連絡車として使ってました。
この回の出張には、いろいとなテーマがありましたが、大きなイベントとして市内の目抜き通りをY社のオートバイ多数でパレードをして認知度を上げることがありました。オートバイは宣伝課がカタログ撮影用に使用した後のさまざまな生産試作車(フレームNo.100番以下:市場に出回らない)を40台くらい持ち込んでいました。問題は、誰がパレードでそれぞれのオートバイに乗るのか?ということでした。大きなものではVmax1200や市販レーサーのYZ250/125なども混じっていて、直ぐに乗れるようなオートバイではありませんでした。増してや西側のオートバイを見るのも初めての人ばかりでした。モンゴルでは一般的にロシア製、ユーゴスラビア製、中には第二次世界大戦中のBMWとか兎に角古くて移動用が目的のものばかりですので、スポーツ・ラインディング用のオートバイに乗った経験者は多くはありませんでした。

ウランバートルにもモトクロスを主体にしたレーシング・チームがあり、そのチームにパレードでオートバイに乗ってもらおうとなりました。急遽、私がパレードで運転する選手を選考する役になりました。簡単なスラローム、狭いクランクで足を付かずにUターン、50㎞くらいから急制動で停止ラインに前輪をピタッと合わせて停止することを課題でやってもらいました。
チームのみんな(50人くらい居たと思います」)は、最初笑ってました。モンゴル・インペックス(輸出入公団)の役人も「彼らには簡単すぎますよ」と笑ってました。私は、連絡車のYB90でスラロームをササッと抜けてクランクでバランスを取りながらUターン、急制動でラインにピタッと前輪を止めて、「こうやれば良いのです」と言いました。

選手は、皆さん腕に自信がありますからエンジンを吹かして(出力の出方が全然違うことを分かっていなかった)発信するものだからウィリーして倒れたり、スラロームは全然回れず、クランクは全くダメ、目指したラインで止まれた人はたった1人でした。ちょっと思った以上にダメダメだったのには驚きました。原因は、普段乗ってるレーサーマシンは、前輪のブレーキが壊れているものが多く、後輪ブレークで制動するのが癖になっていたようです。それとアクセルコントロールがまったくできていませんでした。バランスも基本的なニーグリップ(燃料タンクを両膝で挟み重心を安定させる)をやっている人も居なったです。合格者は2名くらいでしたが、それではパレードにならないから20人くらい選びました。

本番は、ゆっくり走るので問題なく、目抜き通りで多くのウランバートル市民の注目の的になりました。私は、連絡車でパレードの横や後ろ、はたまた先導する役をしながらウロウロ走ってました。

モンゴル人レーサーにとっては、目の覚める経験だったと思います。私もいい経験になりました。日頃気にせずにいるオートバイ運転の基本操作にはすべてが詰まったものだったと再確認しました。乗り物は、機械(メカニズム)を操作しているです。

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