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◯拷問投票67【第二章 〜重罪と極刑〜】

 ここで重要なのは、当然のように、いかにして反対勢力を懐柔すればいいのか、というポイントであった。
「まだ計画の段階ではあるけど、可能性として言えることを。なにより、彼らのイデオロギーの根本を支えているのは、犯罪に対する同情とでも言うべき、いわゆる共感能力の高さではないか、と思います。犯罪を犯してしまう人も一種の被害者であり、その苦しみに共感し、刑罰としての拷問という選択肢に違和感を覚えているのでしょう」
「だとすれば、なにができる?」
「まあ、簡単だけど」
 谷川は、ふたたび左目に落ちてきた前髪をさらりとかき上げた。
「彼らが理性で動いているわけではないなら、感情に寄り添うべきことになる。もともと、彼らみたいな博愛主義者みたいな人たちは、社会平均から見れば、著しく感情的な人たちの部類に入るわけであるのだからね。感情に寄り添えば、寝返り、寝返れば、従順な味方になる」
「……なるほど」
 たしかに洞察としては優れているように思えた。ネット上で高橋実を誹謗中傷するような人たちは、おそらく拷問を訴えているように見える高橋実に対して激しく興奮してしまうのだろう。街中でデモ行進をするような人たちも、理性的であるなら、それよりもっと有意義な活動があることを理解できるはずである。
 拷問をすべきだという考えを、犯罪者に自分を投影させた結果として自分に対する非難だと錯覚し、プライドが傷つき、そんなのは許せない、拷問は廃止すべきだ、と感情的になっている可能性がある。
 感情的な人たちを寝返らせるためには、その感情を否定することは逆効果だ。一度でも感情を否定すれば、無理解の平行線を辿ることしかできない。
「じゃあ、今日の議題は決まりです。さっそく先に進みましょう」
 それから、高橋実も交えて、いかなる説得方法なら反対勢力を寝返らせることができるのか、慎重に議論を進めた。
 有力な案として挙がってきたのは、苦しみと行為の分離を求めることだった。殺人という行為とそこに至るまでの苦しみというプロセスを連結させると、行為そのものに対してまで同情が働きやすくなる。
 その連結を明示的に解きほぐすことにより、同情を苦しみのみに限定させ、行為そのものへの非難の気持ちを増幅させる。
 苦しみは尊重すべきだが、行為は非難すべきだ。
 そのように具体策を検討していく中で、長瀬は、ふと疑問を感じた。
 被害への報復として拷問を発動させようとしている我々は、まさに、我々や亡き人たちの苦しみを拷問という報復行為と結び付けているではないか。
 我々は拷問という行為を苦しみから分離し、それはそれで非難すべきなのではないか。拷問はダメだ、と。でなければ、我々の論理は拷問を否定する人たちの論理と同じあり、もっと言えば犯罪者の論理とも同じなのではないか。ただ単に同じ論理を別の角度から見ているに過ぎないのではないか。
 長瀬は、ほんの一瞬の疑問をひとつの言い訳でねじ伏せた。
ーー違う。高橋実が言っていたように、これは感情的な抑止力のための戦いだ。