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【証拠アリ】小説は書きつづけていれば、だんだん上達する話【継続・命】

 こんにちは、山本清流です。


 5年以上小説を書きつづけている者です。

 だんだん小説が上手になっていくのを実感しています。


 この記事は「自分には才能ないし、小説を書くとか無理だよなぁ」と考えている人向けに書いています。


 いまの僕の心の声は以下のとおり。

 いまの僕は、小説と言えるものを書いているけど、昔からそうだったかと言えば、全然、違う。小説の才能なんてなかった。ちなみに、小中高と、国語は一切、できなかった。しかし、小説をずっと書いていると、だんだん上達してきた。才能とか気にせずに、継続することが大切だと思う。

 この心の声について、以下、深掘りしていきます。

 僕の過去の作品を証拠として開示するので、ぜひ。


 【僕がいかに下手だったか――証拠】

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 以下、僕が過去に書いた作品の一部を公開します。

 めちゃくちゃ黒歴史です。


 こんなの書いている人でも、まともになっていくのか。と実感できるはずです。

さっそく、いきましょう。


 最初に。僕が小説を書きはじめたばかりの2014年の小説。タイトルは『罪』。僕は中学生でした。中二病の作品です。冒頭を、どうぞ。

 いつだって正常者を異常にするのは異常者だ。
 正常者同士の喧嘩は補い合うことができ、後に残るのは仲の回復である。よく言われる「雨降って地かたまる」とかだ。しかし、異常者が相手だった場合、補うことはない。入った線をそのままに残し、相手の領域に入ることはない。その状態に置かれた正常者は時に異常者に変貌する。自らの価値観を探し、自分の存在する意味をみつけるために行動する。その行動は時に異常者の誕生を願うこともある。正常者を異常にする異常者も元は正常者だ。異常者を責めて世界の正義というのは善者のやることだろうか。そこに一つ罪とは何かの疑問が生まれる。つりあわない正義の矛盾を解決する方法はきっとどこかに存在している。しかし、残念なことにその方法を知る者は多くいるわけではない。人というのは十人十色で自分の意見や意志など完全に合致する人は双子であろうと存在しない。生活の違い。国の違い。宗教の違い。家の違い。生まれた子は完全でないとしても育った環境にベットする。同じ人間をつくりだすのは無理といって正解。故に正義とはなにかと人に問うと、人によっての見解が違ってくる。

 痛々しい感じ。難しい言葉を使うことがカッコいいと思ってる。

 でも、たぶん、これ、本心です。


 最近書いた小説のテーマがほとんど同じだったので、びっくりしました。

 人間って、変わらないですね~。


 雑談はさておき、ひどい作品です。

 小説ではなく、評論文みたいになっています。


 小説のつもりで書いているのだから、これじゃあ、ダメでしょう。

 僕はこういうレベルでした。


 中二病からのスタートというわけです。先が長そうですね。

 それからどうなっていったか……。


 ――それから二年が経ち、2016年。高校生のとき。『カラスのテーマ』という小説を書きました。その一部を、どうぞ。

「青華市警察の警察官の板倉さんだぜ」
 敦が説明した。
「正くんが実験で、健康的なものを生きたまま欲しいって言ったから、僕ちゃんが狩ってきたんだよ」
 箱の中には、ロープで胸の辺りとふとももの辺りを縛られた全裸の板倉が眉毛を凍らせて、固まっていた。魚のように冷凍保存されている。
 敦はくすっと一度、笑い声を漏らしてから、いつもの口調で言った。
「有能な豚もいるもんだ」
 優斗は軽く二度手を叩いて、正に命じた。
「中学生の女の子もいるんだ。汚ならしいおじさんは片付けて」
「はい」
 正は、白い箱を台車に載せて、研究室へと入っていった。
「私は大丈夫だよ」
 雪人と対面に座る結奈が、にこっと笑った。
「子供扱いしないでよね」
「悪かった」
 優斗は、頭を下げた。
「自分も、大丈夫です」
 正の席と対する席に座る、前髪を左に流している奈緒美も言った。
「それは悪かった」
 優斗がまた頭を下げた。
 それを面白がって、嶺音が、背もたれから起き上がり、にやにやしながら言いだした。
「ちょっとお嬢さんたち。優斗が優しいからって、そんなぺこぺこさせたらダメですよ。怒らせてしまうと、その次の日には骨だけしか残っていないでしょうね」
 奈緒美は無反応であったが、結奈は首を傾げた。
「それって、優しいの?」
「あらら、骨、決定です」
 嶺音は、満足して、ふたたび、ぐっと背もたれにもたれかかった。

 説明の量が少ないのが気になりますが、ちゃんと会話文が書けています。

 最初は評論文だったのが、ようやく小説らしくなりました。


 「小説とはなにか」にちょっと気づいた様子です。

 小説と評論文の違いが見えてきたフェイズですね。


 僕は、もともと、小説と評論文の違いがわからなかったので、これは大きな成長です。

 二年書いて、ようやく、小説らしい会話文がちゃんとしてきました。


 ――続いて、その一年後、2017年。『ソーシャル・ナイトメア・サービス』という作品を書きました。冒頭を、どうぞ。

 不快なイメージがまとわりついていた。
 美子は、3人の女子に囲まれ、様子を窺うようにちらちらと視線を送っている。3人は、しきりに目で合図し合いながら、露骨に嫌がるような視線を美子に送る。
 かと思えば、今度は不意に三人が笑い出して、美子も、生理的微笑に走る赤ん坊のように釣られて笑う。ふわふわとした靄の中にいて、教室のような雰囲気はあるが、それを証拠立てるものはない。教室ではなく、どこか別の場所かもしれない、とも思えた。
 とにかく、3人がいるのは変わらない。それも決まった3人だ。
 ロングヘアーで堂々と校則に反したメイクを怠らないのが、彩。クラス中に男子のファンを持っているせいか、少々自惚れ気味に片頬を釣り上げるのが癖だが、それが癪に触ってファンを止めた男子がいることには気付いていない。
 セミロングで綾以上の美系にも拘わらず、男子と距離を取ろうとする、自分平民とは関われません系女子が、咲紀。顎が天を向いていることが多いために、反感を買われ、一部女子からはハートのキングの異名を授けられている。本人は大満足だが、ハートのキングが自殺キングという俗称を持つことは知らないようだ。
 男染みた口調で他を圧倒し、クラス内のほぼ全員から嫌われているのが、有紗。彩や咲紀と比べ容姿で劣るのは言うまでもないが、その喋り方の威圧感は他を圧倒する。『調子こいたら、刺し殺すぞ』という男顔負けの台詞が口癖であるが、中学の頃に少年院にいた、という根も葉もない噂も折り重なり、本気で殺されると怯えている生徒もいる。

 ・冒頭から『不快なイメージがまとわりついていた』と想像力の欠片もない表現をされると、こっちも不快になる。

 ・いちいち文章が長々しく、途中で、文脈を見失いがちになる。

 ・『拘わらず』は、ひらがなのほうがいい。

 ・容姿の話題を安易に取り入れるのは、間違っている。

 ・表現がわかりづらい。

 ・漢数字を使うべきである。

 など、読み返すと、いろいろ気になる文章です。


 語彙力が足りない気がします。

 でも、やたら難しい言葉を使おうとする癖は収まってきていますね。「矛盾」とか「正義」とか。


 難しそうな言葉を使い続けていると、飽きるのです。

 そういう言葉は生硬で、実際にはカッコよくないことに気づきました。


 これも、成長。いい感じです。

 書きつづけているからこそ、飽きてくるのかもです。


 ――続いて、『バルーン』というホラー作品。2018年のものです。大学生になってからの作品です。

 冒頭を、どうぞ。

 二つの包丁の刃を合わせてスライドさせたような高音に、鼓膜がぶるぶると震えた。
 ぼんやりとしていた意識がシャキリと醒めて、聴覚に神経が集中した。高音はふらふらと音域を移動しながらも、音量は変わりなく継続している。すぐに何者かの金切り声だとは思い至ったが、その声の主が子供で、性別が女であることくらいしか分からなかった。危うく聴覚で看取できなくなるような際どいところの高音であり、耳鳴りがしているのかという気もしないでもないが、鼓膜をぶるぶると震わせているのは、どうやら実際のことであるらしい。
 悲鳴だ。
 物理的な苦痛を叫んでいるにしては、息継ぎがないのが気になる。ふつう、身体のどこかに強い痛みがあれば、呼吸が荒くなっているだろうから、断続的な悲鳴というか、断続的な絶叫になるはずだ。緊張などの精神的な苦痛を受けているにしても、呼吸がままならなくなるので、継続的な悲鳴に徹することはできない。
 継続して叫び続けているこの声は、まるで、思いっきり息を吸い込んでから計画的に高音を鳴り響かせるオペラ歌手のようだ。そう、この女の子の悲鳴は、痛覚に悶えているのではなく、大なり小なり、計画的なところがある。叫ぼうとして叫んでいるのだ。
 なぜ、叫ばなくてはならないのか。恐怖らしき毛色が感じられるところからすれば、その声は、きっと、なにかを拒絶している。拒絶の悲鳴だ。
 悲鳴は、それから間もなくして途絶えた。
 意識が聴覚から遠ざかって視覚に向かったことで、今現在、自分がいる状況の確認作業が始まった。

 文章が整ってきていますね。

 小説を書きはじめてから、およそ4年くらい。


 「暗い道を歩いてきた」とか「綱渡りの人生だった」みたいな抽象的な話題で導入するのでなく、はじめから、その場の雰囲気を表現しようとしていますね。

 その姿勢がいい。我ながら。


 しかし、表現が浅くて、冗長です。言葉が抽象的すぎて、いまいち、伝わってこない。

 まだ、「かっこいい言葉を使って、誤魔化そう」とする意識が残っている印象です。

 この意識はなかなか抜けない。


 ――その一年後、2019年。『黒館』という小説を書きました。このへんから、ようやく、小説と呼べるのではないか、と思います。冒頭を、どうぞ。

 ヘリコプターが車体の一メートル上方にべったりとくっついて付けまわしているかのように感じられるほど、激しい雨だ。バタバタと耳に痛い騒音を出し、車体をあらゆる方向から圧しつぶそうとしているようである。この頑丈なはずの鉄塊をここまで頼りなく思ったことはない。車体は、強風によって右往左往し、危うく木々に激突しそうになるのをこらえながら、なんとか前へ前へと進んでいる。どこかで釘でも踏んだのか、右前のタイヤに異常があるらしく、車体はそれ自身でガタガタと盛大に揺れていた。
「まだか?」
 剛田は、激しい揺れに耐えるようにシートベルトを強くつかみ、助手席から運転席に声を飛ばした。
「え、なんですって?」
 運転席に座る神林は、大声で応じて、聞き取りづらかったように左耳を傾けてくる。もともと耳の遠い男だったが、彼のせいというよりは、車体に弾ける雨の轟音で車内がパチンコ店よりも騒々しくなっているせいだろう。自分の言い方を失礼だと恥じたのか、「すみません。もう一度、お願いします」と言いなおした。
「まだか、って言ったんだ」
「ま……ってあの、なんですって?」
 ゆとり教育の弊害か、神林には、学習能力が乏しいところがある。彼は、言い滑った生意気な言葉を訂正するように「あの、雨音が」と付言した。
「まだかかりそうなのか、ってんだよ」
「あ、あの、ちょっと聞きとれないです」
 申し訳なさそうに目尻を垂らした細面で、こちらに顎を突きだし、ぺこりと頭を下げる。雨粒の数々が車体を襲う音のせいで、助手席と運転席の距離でも満足に会話が成立しない。おそらく、それを重々承知で、すべての非はこの自分にありますとでも言いたげなその顔で剛田の苛立ちを丸く収めようとしているのだろうが、この危険な運転の最中にフロントガラスから目を離すバカがあるか。
「もう、いい。運転に専念しろ」
 剛田は、毛深くて太い人差し指をフロントガラスに向けた。

 小説を書きはじめてから、5年くらい。

 ちゃんとシーンを書こうとする姿勢が見られます。

 

 おまけに、キャラクターにも凝りはじめている。

 どんな仕草をするか、どんな言葉を使うか、真剣に考えたように見受けられます。


 ここまで来ると、「かっこいい文章で気取ろう」とする意欲がなくなってきている印象です。

 文章に凝るのではなく、表現内容に凝ろうとしている。

 

 実際、どんでん返しのトリックに挑戦した作品でした。ちなみに、この作品は、結末以外、無料公開しています↓


 『黒館』を書いたあとは、イヤミスに挑戦しました。同じく2019年です。文章面での自信が芽生えてきていました。スタンダードな三人称を排し、一人称の独白形式に挑戦しました。一部を、どうぞ。

 奇妙に感じながらも、わたくしは、そのときの具体的な状況をさらに聞きました。生徒Cが遊園地に行ったとき、生徒Aは、当該生徒から「ふざけないで、いいかげんにして」と声を荒らげられていたそうです。その当該生徒の態度には、普段のおしとやかな雰囲気とは別人のような攻撃性があり、凄みがあったので、生徒Aは怖気づいてしまって、肩を縮めていたそうです。「ごめん、わたしが悪かった」というような弱弱しい言葉も、聞こえたような気がすると言いました。その場では、二人の間にほかの生徒たちが入って、「やめようよ」、「落ち着いて」、「いったん、冷静になろうよ」と仲裁をしていて、だからこそ、その様子が喧嘩であるかのように見えたということでした。
「それだけなら、たしかに喧嘩なのかもしれませんけど、なんか、最近、二人の様子がおかしくて」と、生徒Cは眉根を寄せるのでした。具体的になにがおかしいのかを説明することはひどく難しそうでした。わたくしは、具体的にイジメの場面を見たのか、とも聞きましたが、生徒Cは首を振りました。どうやらそういうわけでもないようでした。なんとも難しい問題に思えて、わたくしは早速頭が痛くなっていたのですが、ひとつだけ、生徒Cから、手がかりになりそうなエピソードを聞くことができました。
 ある日の給食の時間の出来事だったそうです。いつものように生徒Aが中心となって和気あいあいと楽しい空気が流れていました。話題は、睡眠時間から、勉強時間、効率的な勉強方法、おススメの参考書などに移り変わっていって、ついに脱線し、勉強をする必要はあるのか、という話題に辿りついたそうなのです。生徒Aがなんの気なしに「勉強ができたって、役に立たない人はいるよ」と軽口を叩いてしまったときのことでした。「それ、わたしのことを言ってるの?」と当該生徒が鋭い声を上げたらしいのです。急激に険悪な空気が流れました。すぐにその場の空気を察したのか、当該生徒は、「なんて、被害妄想になっちゃったりして」と笑いを誘ったそうなのですが、そのときの「それ、わたしのことを言ってるの?」という言葉の鋭さ、その研ぎ澄まされ方が尋常ではなかったので、ただの冗談には思えなかったと生徒Cは言うのです。それだけでイジメであると認めることはできませんでしたが、それが事実なのだとしたら、当該生徒の腹の中に、なにかしら黒くて醜いものが溜まっていると考えることも、無理ではありませんでした。少なくとも、イジメの前兆のようなものは十分に感じることができました。

 この作品では、キャラクターに凝っていますね。

 プロットも練り込んで、設計士みたいに小説を書きました。


 婉曲的に攻撃を受ける、陰湿なイジメという難しいテーマを、

 なんとか書ききったという感じです。


 書きはじめて5年くらい。ようやく、リアリティーの追求が本格化した感じです。

 それまでは、どちらかというとラノベ的な作品が多かったのですが、

 この『独白』という作品では、キャラのリアリティーをとことん突き詰めています。

 

 気になる方は、ぜひ。


 そして、その後、僕は、ようやく重い腰を起こし、小説の書き方について勉強するようになりました。

 とくに勉強になったのは、三幕構成という手法です。

 これは、おススメ。勉強すると、2時間映画の構成を理解できるようになります。

 

 構成についても考える余裕ができてきました。


 ――2020年になってから、僕は、ショートショートを書きはじめます。ショートショートを書くうちに、起承転結や、オチをつくることについて学んでいきました。とくに成功したのは、この作品。ぞっとするかもです。

 2020年7月26日、午後2時ごろ、茨城県内に在住の大学生、栄田さん(22)が購入したばかりのCDを聴いたところ、男の声でぶつぶつとつぶやくのが小さく聴こえてくるだけの楽曲が入っていた。そのCDには2曲収録されていたが、2曲ともそうだった。
 そのCDは、同日の午前中、近所のCD・DVDの中古品を扱っている個人営業の店で購入してきたものだった。見知らぬアーティストのものだったが、ひびの入ったドクロの下顎と上顎の間から無数の蛇が四方八方に伸びている模様が描かれたカバーデザインに惹かれて、栄田さんはそれを購入した。
「カバーデザインが活かしたセンスだったから、斬新な曲が入ってるんじゃないかって期待したんですが、ちょっと斬新すぎました」
 ぶつぶつとつぶやく男の声は小さく、なにを言っているのか聞こえなかった。今回の買い物は失敗したと感じた栄田さんは、そのCDのことは忘れてしまおうと最初は思った。が、同日の午後4時ごろ、夕食のための料理をしているときにふと、あの楽曲の中の男の声はなにをつぶやいていたのか、気になった。
 そこで、栄田さんは料理を中断し、もう一度CDを聴くことにした。CDプレーヤーにCDをセットして、イヤホンをつないだ。さっきよりもボリュームを10段階大きくして聴くことにした。
 ぶつぶつとつぶやく低い男の声。声のいたるところが潰れていて、よく聴こえない。栄田さんは、さらに5段階ボリュームを上げた。遠くの方から近づいてくるようにつぶやく声が大きくなり、ようやく意味を成した言葉が聴こえてきた。
「何町、何丁目とかなんとか、言っている声が聴こえてきたんですが……」
 栄田さんは、震える声で打ち明けた。
「それ、俺が生活してる場所――まさに自分のいるアパートの一室の住所だったんですよね。俺んちの住所を繰りかえしつぶやいていたんです」
 どう解釈すればいいのか、わからないのだという。

 どんなオチが面白いか、どんな展開が面白いのか、日々、考えています。

 こうして現在にいたる、という感じです。


 現在の僕は、プロ作家さんの文章の特徴がよく理解できるし、それを模倣できるフェイズにいます。


 5年くらい継続してきて、ここまで来たのですが。これって、遅いほうなんでしょうか? たぶん、遅いほうだと思います。わかんないけど。


 でも、遅くても、継続していればなんとかなる、というわけです。


 早い人だと、一年でこのフェイズに行くのかもしれないし、三年かもしれない。でも、五年であれ、継続していれば、このフェイズまで来ました。

 現在の僕は、上手に小説を書こうという意識よりも、「他人とは違う小説を書こう」という意識に変わりつつあります。

 いわゆる、差別化の段階です。


 ひととおり、楽譜通りにピアノを弾けるようになってきたから、アレンジしてみよう、みたいな段階です。

 たぶん、ここが踏ん張りどころ。


 ずっと小説を書いていて、文章への理解も深まり、技術も増えてきて、「整った小説がちゃんと書けますよ」のフェイズにいる人はけっこういると思うのです。


 しかし、全員、プロ作家になるわけじゃない。プロ作家になるには、「整った小説」であるうえに、「面白い小説」が書けないといけない。僕は、そう考えていますが。

 

(実際、どうなのかなぁ。まだ、プロの目から見れば、僕の小説は、整っていないのかもしれないけど……)

 まあ、頑張ります。


 【継続・命】

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 脱線したので話を戻しますが、

 以上のような感じで、だんだんと上達していきました。


 僕の経験からわかる教訓は、「継続が命」ということです。


 小説を書くことに興味があるなら、とにかく書いてみることをおススメします。

 最初は、上手に書けずにげんなりするかもですが、継続していれば必ず上達するので。


 僕もまだ途上なので、書きつづけて、もっと上達していきたいです。


 【たぶん、プロ作家もみんな同じ】

 今回はこれくらいで。


 プロ作家のみなさまが中二病だったかどうかは知りませんが(笑)、

 はじめからプロ並みの小説を書けていた人はごく少数だと思います。


 というか、そんな人いない、と思います。


 誰でも、はじめは、ヘンテコな文章を書いていたはずです。

 書かないことには始まらないので、ともかく書くのがおススメ。


 そんなお話しでした。

 上から目線みたいになっていたら、申し訳ありません。


 あと、編集の都合上、それぞれの小説の一部しか公開できなかったので、

 上達の過程が伝わりづらかったかもです。だとしたら申し訳ありませんでした。


 以上。山本清流でした。読んでいただき、ありがとうございました。