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◯拷問投票279【第四章 〜反対と賛成〜】

 ぱらぱらと人がいるだけの、小さな駅だった。プラットホームへと向かうエスカレーターは故障中だったので、踏ん張りながら階段を上った。
 出ると、もう真夜中だった。
 排気ガスのような雲の大群に覆われた空は、余計に暗い。
 それらは雨雲だった。槍のように降ってくる重たい雨粒はあらゆるものを勢いよく叩いている。ばちゃばちゃばちゃ、と、この世のすべての楽器を同時に奏でたような混沌の旋律を生み出していた。遠くには闇夜に浮かび上がる新宿のビル街があった。無数の雨粒がモザイクをかけている。
 ずっと換気してない地下室のように空気は淀んでいた。
 単発バイトからの帰りだった佐藤は、肉体的な疲労が溜まっていた。そのせいか、プラットホームに上がってきたところで立ち止まり、幽体離脱をするように遠くをぼんやりと見つめていた。どれくらい、そのままでいたのか。さすがに気が抜けすぎている。なんとか意識を現在地に戻した。
 こじんまりとしたプラットホームには、スマホに目を落としている人たちがちょろりといるだけだった。
 井戸でも覗き込むようにディスプレイに顔を近づけている人々の頭の上で、寂しそうに電光掲示板が形式的な作業を続けている。
――座りたい。どこでもいい。
 佐藤は、のろのろと視線を動かし、座れるところを探した。すぐ手前に、地面に固定された赤の蛍光色のチェアが三つあった。ひとつには若い女性が座っている。残りふたつは空いている。
 そこだ。足を踏み出した途端、佐藤は動きを止めた。
 嘘だろ、と思った。
 目を見開いたままで、じろじろと見つめてしまった。
 背筋を伸ばして椅子に座っている若い女性に、見覚えがあった。すっとした顎。蝋人形のように白い肌。清潔なワンピース。伏せた目で、手元の、イルカが描かれたブックカバーをまとった文庫本を、見つめている。決定打になったのは、首元にある十字架のネックレスだった。
 どう見ても、あのときの彼女だ。