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◯拷問投票64【第二章 〜重罪と極刑〜】

   
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「そんな言い分が通用するわけがないですよ」
 谷川は、笑い飛ばすように言った。
「たしかに興味深い戦略ではありますが、こんなに証拠にあふれている事件で故意がなかったと主張しても誰も信じないでしょう。僕だったら、そっちを責めるよりは、どの殺人についても王道的な承諾殺人を主張していくことのほうが、死刑を回避するのには近道なんじゃないか、と。ま、それでも厳しいけど」
「おい、谷川。口が滑っているけど、いったい、どっちの味方だ?」
 長瀬は、呆れ果てたという視線を向けた。数々の事件で技巧的な主張を押し通して勝訴してきた谷川にとっては、目の前の事件はどれも訴訟戦略を組み立てるための問題文に見えてくるらしい。
 相変わらず変わった人だ。やすやすと人を裏切るような人ではないので、そこは信用している。
「あの……わたしは詳しくはないんですが、あのような荒唐無稽な主張をすることで、なにを狙っているんでしょうか」
 高橋実が率直に訊いた。ここは長瀬の自宅のリビングだ。第一回の公判が終わったあと、作戦会議のために、高橋実と、前髪を左右に分けた長髪の弁護士――谷川を招集したところである。
 ひとり暮らしにとっては無駄に大きなテーブルを、三人で囲んでいた。
「簡単に言えば、俺は殺人をしようとしたんじゃなくて、器物損壊をしようとしたんだ、というわけですね」
 谷川がさらりと説明を始めた。刑事法を研究している長瀬も説明できるが、こういうのは実務家の領域である。
「人型ロボットというのは物なので、物に対してハンマーで殴りかかるというのは器物損壊罪に該当します。そのあとの一連の性的暴行についても、性的暴行の対象は人間に限定されているので、犯人の主観的には器物損壊罪でしかありません。自宅まで連れ去った行為は窃盗罪かもしれませんが、いまや窃盗罪の規定はないので、これにも該当しない。殺意のない犯行に殺人罪を適用することはできないので、器物損壊罪と過失致死罪だけでまとめようとしているわけでしょう。最近の判例にも、人型ロボットを壊そうとして間違えて人間に傷害を負わせたケースで、器物損壊罪と過失傷害罪を認めたものがありました。ちなみに、刑としては、器物損壊罪は三年以下の拘禁刑または三十万円以下の罰金もしくは科料、過失致死罪は五十万円以下の罰金です。観念的競合になり、この事件だけを見れば、おそらく三年の拘禁刑が言い渡されるでしょう」
「そんなこと……」
 高橋実は、悪魔の言葉でも聞いたかのように絶句した。当然である。故意に娘を殺された挙句、人間ではなく物だと思ってました、と短期の刑を主張されたら、その犯人は悪魔にしか見えない。
 犯人というよりは、弁護人の戦略だが。
 被告人が陳述したところによれば、第一の事件については器物損壊罪を、第二の事件については同意があったことを理由とした同意殺人罪を、第三の事件については被害者から暴行を受けたことを理由とした過剰防衛としての減軽を主張していくようだ。第一の事件において相手が人間だと気付いたあとの錯乱状態での殺人については、超長期的無責任の概念を適用する予定だそうである。これらの主張がひとつのみ認められるだけでも死刑の可能性は揺らぐが、現実的にはありえない。
 まるで、刑法を勉強したばかりの学生が興味本位で訴訟戦術を組み立てたような、見るも無残なお粗末さだ。検察としては、どの事件でも逮捕監禁罪や不同意性交等罪、殺人罪を主張しており、真っ向から対立している。