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サケが森を作る


<9月の生き物 サケが森を作る>

暑い暑い夏の終わり、台風が通り過ぎるたびに秋の気配が漂う。
田んぼは黄色く染まり始め、真紅の彼岸花が顔を見せ始める里山の原風景。

寒い地域では長い冬の前の、あっという間に過ぎる秋を忙しく過ごす。
そんな地域の河口には突然サケの大群が現れると、
少しの間身を寄せ合って過ごす景色が見られる。

大人になったサケは生まれた故郷の川に還ってくる。
故郷の川の匂いをたどってたどり着くと考えられているが、
いまだに謎の多い生き物だ。
その肝心の匂いは川の底に着く微生物群が発生源の一つとして明らかになっている。

近年、Uターンや孫ターンと呼ばれる移住が増えているのは
人間にもやはり故郷に帰りたくなる性質を持っているのかもしれない。

サケが故郷の川に戻ってくるのは卵を産むためだ。
天敵が少ない寒い地域の川の上流は自身が育った場所であり、
安全なことは身を以て知っているわけだ。

人間で言えば、里帰り出産といったところだろう。

川で生まれ、海に旅たち、そして故郷の川に戻ってくる魚は多くない。
こういった魚を溯河回遊魚(そかかいゆうぎょ)と言い、サケ科の他にもイトヨやシシャモがいる。
もともと、魚類は全て海で誕生し暮らしていた。
そのなかでサケは天敵が少ない、川を目指すようになった。
魚類のように卵をたくさん産む種は反面、肉食魚類の食糧でもある。

その後、氷河期に突入すると寒い地域の河川では食料となるプランクトンが減り、
再び食糧が豊富な海を目指した。
そのなかでも海に旅することなく川に残ったものが現在の川魚と呼ばれる淡水魚である。
同じサケ科のイワナもその代表的な魚である。

サケは3~7年かけて北太平洋で過ごす。
ロシアのベーリング海やアメリカのアラスカ湾など一説には故郷に帰るまで1万6千kmも旅をしている。地球の演習の半分にも匹敵する距離だ。
その中でサケもまた他の魚類やその稚魚を食べ、動物性のプランクトンも食べて
どんどん大きく逞しくなっていく。すると何処かのタイミングで彼らは故郷へ帰ることを決意する。そこから彼らの旅は死への旅となる。

そして、サケはそのたくましい体を頼りに厳しい川を昇っていく前に火口付近で一旦立ち寄って休憩する。
その間にサケの腹に赤いラインが浮かび上がり、身体全体が輝きはじめる。

この赤色はサケが食料とする甲殻類に含まれるアスタキサンチンという成分であり
この成分がこのあとの川の遡上で浴びる紫外線対策となる。

河口にはしばらく滞在するのは海水に慣れてしまった身体を、淡水に適応するために滞在する。ここは淡水と海水が混じり合う汽水域という。
きっとこの過程は数億年前にサケの先祖が編み出した技術なのだろう。こんな高度なことができるのもサケくらいである。
もともと魚類は海で誕生した。その中でも弱い魚は河口へと追いやられた。そのときに淡水にも耐えられる性質を手に入れた。今まさにサケはその祖先の進化を体現しているのだ。
そして準備が整うと、故郷の川を昇っていく。これもまた弱い魚が天敵のいない河川に活路を見出した旅とリンクする。

天敵がいないとは言え、川は厳しい。
高いところから低いところへ下る水の圧に逆らい、岩や川底に身体をぶつけならが進んでいく。
さらに祖先が経験してこなかったダムや堰が行くてを阻む。
近年ではこういった問題の解決策として、魚道が設置されている河川もあるが
そこを通るのは運良く魚道に当たったサケだけである。

だが、一番潜り抜けるのが難しいのが人間の漁だろう。
河口に集まったサケほど捕獲しやすく、好物であるイクラ(卵)が採れるタイミングはない。
アラスカではユーコン川の河口に巨大なサケ捕獲施設の建設計画が立ち上がったことがある。
しかし、アラスカ先住民や地域住民の反対によりその計画は頓挫した。

サケにとって故郷の川を目指す旅は死への旅である。
私たちが普段よく食べるシロザケは川の上流にたどり着くとメスは卵を川底に産み、
オスはそこに精子を振りかけ、メスは砂をかけて冬を越す準備を整える。

その共同作業は生死の境であり、命のバトン交換である。
作業を終えるとサケは死ぬようにデザインされている。
死を選ぶわけではなく、そうプログラミングされているのである。

これはまるで1年草の植物が種子をつけることで枯れていく様を連想する。
1年草もまた地球の公転運動リズムに共振して、成長から生殖へ切り替える。
サケも同様に川を目指すその直前までは植物の栄養成長であり、川を目指してからは生殖成長にあたるのだ。
その証拠に海洋の置いて消化管だった内臓は、河口にたどり着くときには卵がぎっしりと詰まっている。
サケの一体どこにそのスイッチがあるのだろうか。生から死へ切り替わるとき、サケには確実に故郷の川の匂いが分かるようだ。

サケは卵を産むために遡上しているとも言えるが、死ぬために遡上しているとも言えるのだ。
その姿に多くの人々は心打たれ、サケを保護をし、見守ってきた。

しかし、本当にそれだけなのだろうか?
ここで森林全体を一つの生態系と見る森林生態学からサケを考えたい。

アラスカ先住民の知恵にこんな言葉がある
「サケが森を作る」

サケにとって遡上の旅の天敵は人間ばかりではなく、
クマやキツネ、ワシなどの肉食動物もいる。
彼らは人間と違って多く取りすぎないし、贅沢なことに頭と卵しか食べない。
あの栄養たっぷりの赤い身にはほとんど手をつけないのである。

熱しても変色しないタンパク質であり、脂たっぷりの身は
想像しただけでもよだれ必須である。
日本人の定番朝食でもある。
サケは遡上開始から絶食状態なので、その栄養は数年間の海の暮らしで溜め込んだものだ。

私たちはサケを通して海を食べている
海を汚すということはサケを汚すということ。
つまり、私たちを汚すということだ。

寒い地域の厳しい冬を乗り越えるために森林に棲む肉食動物は
そのサケの栄養を自身の身体に溜め込んでいく。
彼らが食べ残した身体は小さな肉食動物が食べ、最終的には大地の微生物たちの餌となる。

そして、その微生物が分解しきった栄養が
森林を構成する草木の栄養分として吸収されるのである。
タンパク質とはチッソの塊だ。チッソは植物の茎葉を作るために必要な栄養分だ。光合成を担当する葉緑素はタンパク質そのものである。

寒い地域では空気中のチッソを
植物が利用できるように土に固定するチッソ固定菌の活動が少ない。
そのため寒い地域では植物は育ちづらい。
(もちろん、日照時間や気温も影響する)

しかし、寒い地域の上流の原生林には樹齢数百年の巨木が立ち並んでいる。
その理由はまさにサケなのだ。
サケが数年間海にあるタンパク質、つまりプランクトンや魚類を集めて溜め込み、
それを栄養分が少ない山に還元してくれているのだ。

そして、大量のリンも森林に還元される。
アラスカのイリアムナ湖に存在するリンの60%がサケの死体からもたらされているという研究結果もある。
リンは遺伝子の元である。リン無くして子孫は残せない。

地球には重力という力がすべての生命も非生命も離さない。すべてのものは上から下へ降っていく、落ちていく。それは生命が育つ栄養もまた、そうなのだ。サケはその法則に逆らうかのように海の栄養分を大地の奥深くへ運ぶ存在だ。そのおかげで大地は豊かさを享受できる。

それを肌でわかっていたアラスカ原住民はユーコン川河口のサケ漁施設に反対したのである。
彼らの伝統的な漁はその多種多様な技術から根底に流れる思想は
サケをたくさん取るためだけではなく、森林を育むために生かされていたのである。
そして、彼らの伝統的なサケ漁は2000年に持続可能な漁業として世界的に認められることになる。

アイヌ⺠族は、サケを「カムイチェㇷ゚=神の魚」として⼤切にし、冬を越すための重要な食糧だった。干したり燻すことで保存食として利用した。アイヌ民族内にもその年初めてのサケをお盆の上に乗せて、神に捧げる季節の行事がある。初物を好み、大切に扱い、神事にするのは日本どこの地域、民族にも通じるのは面白い。

北海道では秋、産卵のために川を遡る直前に沿岸部で獲れるサケのことを「秋味」と呼ぶように誰もが楽しみにしている。
アイヌ民族はサケを必要な時に必要な分だけしか獲らないよう、他の動物たちのため、来年のために残しておくよう努め、⾃然のサイクルを守る暮らしを自発的に営んできた。それを江戸時代の和人は理解できずに貿易による豊かさのために破ってしまい、本来の豊かさは失われたことが記録に残っている。

北海道以外にも関東以北や日本海側の寒し地域ではサケが登ってくる。
新潟県の村上市ではイヨボヤと呼ばれ、この地域の恵比寿様はタイではなくサケを抱えている。また地域によっては「栄える」「災わいを避ける」に通ずることから大晦日や祝い事にサケを食べる風習が伝わっている。

サケは森林を育むだけではない。
産卵を終えたサケはその場で死に絶える。
すると冬の食糧が少ない川に住む水生昆虫たちもまたサケを食べて、越冬する。
それによって増えた動物性のプランクトンと水生昆虫は
春に川底から誕生したサケの稚魚の餌となる。
川に住む他の淡水魚の稚魚もまた同じである。

サケは森林だけはなく、豊かな川も作っているのだ。

彼らが食べ残した身は川底に沈み、そこに住む微生物たちの栄養となる。
そう、大人のサケを呼び戻す匂いを発するあの微生物たちの。

サケの稚魚はそんな環境の中で過ごし、海へと旅に出る。
匂いは思い出と深く結びついているのは人間だけではないのかもしれない。
私たちが故郷に戻るとき、景色が変わってしまってもなんだか懐かしく感じるのは
もしかしたら、微生物たちが昔と変わらない匂いを発しているからなのかもしれない。

サケは今年もまた故郷の川を昇る。
それはサケ単体で考えれば、産卵のためでもあり、死ぬためでもある。

しかし、森林や河川を一つの生態系と見るとき、
そこには豊かな生態系を育むためだともいえる。
自然界にはそういった精巧で美しい循環のデザインがたくさんある。

私たち人間は、河川にひとつ小さなダムを作るだけでも
そのデザインを阻んでしまうことを学ばなくてはいけない。
そうでなければ、人間には短期的には利益を生むが、長期的には損害しか生まないからだ。
私たちはやっとそのことに気がつき始めている。

そして、私たちは人間都合のデザインを作り直すときが来ている。
自然界にある美しいデザインを真似よう。
真似ることができれば、人間も生態系の一員として豊かさを分かち合えるのだから。


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