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1年間の「推し履歴」から気づいた「日本のエラい人たちの弱点」

人と集えない、親きょうだいと会えない、毎日のニュースがディストピアな日々の中で、突如、私の脳は「推しに癒されろ」と指令を出してきた。

結果、この1年、いろんな「推し沼」に足を突っ込んでみた。

ミーハーな性分ゆえ、気持ちはコロコロと移ろっていくが、「本日の推し」に癒されることで、なんとか元気に過ごせていることに心から感謝している。

振り返ってみると、私の「推し」たちには一定の傾向が見られた。

・自らの感情を豊かな表現力で伝える

・自分が「やりたいこと」と、組織・社会に「求められているもの」の折り合いをつけている

・様々な経験を通じた複雑な思考の軌跡が垣間見られる

・「守・破・離」の「離」のフェーズに至るために努力を重ねている

・高い共感力を持つ

・社会の変化に敏感

あくまでも傾向なので、全ての対象に当てはまるわけではないが、彼らの活動の「愛ある理念」が垣間見えたとき、私は「推し沼」に落ちるようだ。

しかし、こうして彼らの長所を並べてみると、ちょっと悲しくもなる。

だって、日本という国の運営を司る「えらい人」は、対局の特性を持っているからだ。

・「論破」や「数の論理」で、議論せずに物事を決める

・「型通り」にこだわる

・「丁寧な説明」といいながら「いつもと同じ言葉」を使う

・仲間内の空気を読むが、弱者への共感力には著しく欠ける

・傾聴力がない

・若さはない

国会の風景や党首討論、大企業の不正に関する声明やかつての有力企業のCSRを目にすると、暗澹たる気持ちになることがある。

安心・安全、責任、夢、丁寧、真摯、努力、希望、絆、ダイバーシティ、インクルージョン、サステナビリティ……。

これらの言葉はその場の体面を整えるために、ヒビだらけの器の亀裂を3秒間だけ埋める粗悪な穴埋めパテ材のようだ。美しい言葉から、本来の意味が抜け落ちてスッカスカの抜け殻になってしまった。

私が応援している人たちは、耳慣れた言葉に特別な意味を与えてくれる。いつも使っていた言葉に新しい魅力をもたらしてくれる。

どうか、若い子たちを見習ってもう少し語彙力を駆使して欲しい。

内輪の相手だけでなく、対局にいる「誰か」に心を重ね合わせて、脳を駆使して言葉を紡いで欲しい。今まさに苦しんでいる誰かの涙を見て、心を震わせてほしい。「苦しいのは自分のせい」なんて言わずに、安心・安全な場所を少し離れて足を動かして実態を見て欲しい。

……なんてことを、えらい人に言ってもおこがましいので、今日も身近な人を愛しながら、私は推しの沼で泳ぐ。


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