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中国人が見た日本:博多紀行その六~日本最古の禅寺、聖福寺(下)

800年以上の歴史を持つ聖福寺には、多くの石碑や古木があちこちで見られる。 しかし、人を引き付けるのは、目立たないとある小さな木だ。 この小さな木は他とは異なり、「東方の奇跡の葉」を生み出す茶木である。

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立派な本堂を前にすると、非常に弱々しく映り、傍らに説明がなければ、おそらく誰も気づかなかいだろう。

1191年、南宋留学から帰国した栄西が茶木の種を日本に持ち帰り、最初は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈の「背振山霊仙寺石上坊」の前庭に植え、後に自らが開いた聖福寺で栽培を開始したとされる。

この目立たない茶木は、栄西の偉業を顕彰し、同時に製茶業の発展を祈願するために、茶栽培発祥の地である「石上坊跡地」の茶園から移植されたものである。

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史料によると、栄西より300〜400年前の奈良時代に、茶葉と茶木を日本にもたらした人物がおり、貴族社会で茶を飲む文化が形成されたが、普及はしなかったという。

栄西は日本に初めて茶を持ち込んだ人物ではないが、日本では「茶祖」として崇められている。 それは、日本に茶の種を持ち込んで栽培しただけでなく、禅宗の戒律と結びつけ、日本に茶文化の普及のきっかけを作り、さらには「喫茶養生記」という本で茶文化を宣揚したことにある。

この茶木を前にすると、まるでそこに千年来の日中交流史が凝縮されているようで、ついつい長居してしまった。 今日、お茶は商品として、または贈答品、さらには文化として、人々の日常生活に欠かせないものとなっている。

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数日前のある日の午後、私は日本の大学で、日本の友人と香り高いお茶を楽しみながら、中国と日本が共有している様々な文化について会話し、「同じ大陸」「同じ言語」「同じ種族」であることが多くの利点をもたらしていることに感銘を受けた。 中国と日本は一衣帯水であり、風月を同じくし、「君の中に我あり、我の中に君あり」の関係である。両国は共通の世界を有しており、それ以外の何物でもないのだ!

【出典】https://www.toutiao.com/article/7099561991878033961/
【翻訳】松本忠之

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