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中国人が見た日本:弘法大師・空海が初めて建立した鎮国寺を訪ねて

福岡県の西側に、人口10万人足らずの宗像市という小さな町がある。前世紀末に私が留学していた場所でもあり、当然ながら特別な思い入れがある。あれから20年。5月4日の青年の日の前日に、留学時代に知り合った友人と約束をして、かつて汗水流したこの小さな町へ車を走らせた。

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これが私の日本留学の原点であり、今となっては日中間の人的交流の原点でもある。 ここで、私と日本とのつながりが始まった。 地図で見る限り、宗像市は朝鮮半島に直線的に最も近く、古くは朝鮮半島と中国を結ぶ地理的に重要な門戸であった。

弘法大師が足跡を残したとされる場所でもある。 大同元年(西暦806年)、唐から帰国した弘法大師は、この地に上陸して日本最古の真言宗寺院の一つである鎮国寺を建立した。弘法大師の作と伝えられる不動明王立像は、現在国の重要文化財に指定されている。

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この小さな寺院は、モダンな雰囲気で改修されたようで、あまり神秘的な雰囲気は感じられなかった。 しかし、本堂の礎石などからは、千年の歴史を持つ寺院の波乱万丈の姿を見ることができる。 この寺は、改修の近代化とは別に、純粋な寺というよりは、多少なりとも神社のような雰囲気がある。 実際、右側の神殿の前には、神社の前では定番の「手水舎」がある。 お寺で手水舎を見るのは、少し違和感がある。 本殿の前に吊るされた藁縄も、神社の「奉納」のような感じがした。

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この神仏の融合は、日本では当たり前のことなのだろう。 外国文化を吸収するのが得意な日本人は、仏教の「本地垂迹」に見られるように、「西土大唐」という外国文化を自国の文化と融合させたいと思ったのだろう。 明治時代には廃仏毀釈の動きがあり、仏教寺院は国教である神道に強制的に乗っ取られ、幾度かの変容を経て、「君の中に我あり、我の中に君あり」という新しいスタイルが登場したのだ。

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現在、宗像市はかつてのような賑わいはなく、小さく静かな町で、中国人でその名を知る人は少ない。しかし、そのかつての栄光は、注意深く見ればよくわかる。 今、この瞬間、かつて空海が足を踏み入れた場所に、こうして何千年もの文化遺産が少しずつ受け継がれているのだと思うと、胸が熱くなる。 そして、それはこれからも続くはずだ。

【出典】https://www.toutiao.com/article/7093504584865399336/?log_from=cd20769de33888_1654600327698
【翻訳】松本忠之

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