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子どもたちの歓声が消えた日、宿敵オヤジは途方に暮れる。

スーパー銭湯の小さな怪獣たち

休日の夕方、スーパー銭湯はまるで家族のテーマパークだ。お父さんやお母さん、時にはおじいちゃんおばあちゃんも一緒になって、小さな子供たちがわらわらと押し寄せる。

最初は、父親にくっついてモジモジとフロントで受付をする彼ら。しかし、風呂上がりには、すっかり別人のように変わるのだ。

子供たちの豹変:大怪獣に進化

入浴後、子供たちは一変する。フロアが広ければ広いほど、彼らの中に秘められた本能が解放され、まるで怪獣のように走り回る。

同時多発的にあちこちで騒ぎ出す様子は、まるで同じプログラムをインプットされたロボットたちが互いに共鳴しているかのようだ。

広いスーパー銭湯のフロアは、彼らにとって絶好の遊び場である。しかし、彼らが暴走する前に止めるべき大人たちは、湯の中でリラックスしているためか、多くの場合その機能を行使しない。

くつろぎとクレームの狭間で

大人も子供も、ここに来たのはリラックスするためだ。多少の騒ぎには目をつぶりたい気持ちはわかるが、あまりに放置すれば、他のお客様がゆっくりできない、葛藤である……

そんなわけで、夕方になると銭湯は次第に狂乱の様相を呈する。そして、私はついにウルトラマンとして、「怖いおじさん」に返信んして立ち上がり、小さな怪獣たちとの戦いに挑むことになる。騒ぎ立てる子供たちを鎮めるのは、まさに戦場だ。

子供たちの声が消えた日々

しかし数年前、子供たちの声がすっかり聞こえなくなってしまった時期がある。コロナの影響で、あの元気な声が消えた銭湯は、なんとも静かだった。

平日と変わらない、静けさに包まれた日常が流れているが、なんだか寂しい。そこは、待ち望んでいた平和ではなく、虚無感が広がっていた。

子供たちのあの騒がしさがない社会は、決して平和ではないと感じるのだ。

クソガキとクソオヤジの日々を待ち望む

かつての、子供たちの元気な歓声、そしてクソガキとクソオヤジが不毛にぶつかり合う日々。それが戻ってくる日を、私は待ち望んでいた。

それが徐々に回復したいま、静寂さもよいが、あの騒がしさこそが真の平和であると感じている。

子供たちの歓声!いいではないか!社会全体で見守ろう。いつかきた道である、大目に見ていただきたい。スーパー銭湯とはそういう場所なのだ。

どうしても、それが苦手なおとなたちは、休日は小さな銭湯や温泉地に赴くのが良いだろう。譲りあう気持ちが社会を円滑にする!

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