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一週遅れの映画評:『ハウス・オブ・グッチ』資本主義はきっと 恋愛よりも難しいのね

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ハウス・オブ・グッチ』です。

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 いやぁ思っていたほどじゃなかったな……というのが正直な感想。すげぇ豪華なワイドショーを見せられて、そこにどれだけの価値を見いだすか?ってところかな。
 
 GUCCIって元々はグッチオ・グッチって人が立ち上げた革製品アイテムの会社で、1993年まではそのグッチ一族が経営に絡んでいたのね。でこの『ハウス・オブ・グッチ』はそのグッチ一族が経営から退くことになった顛末を描いた、実話を元にしたフィクションなんです。
 でね、フィクションとして何を描きたいかはすごくよくわかるんですよ。話の中心にいるのはパトリツィア・レッジアーニって女性で、彼女がマウリツィオ・グッチっていう中心的経営者の息子と結婚する。そのマウリツィオは最初GUCCIを引き継ぐ気なんてなくて、弁護士になる勉強をしている青年なんですけど、それが徐々に妻パトリツィアの勧めによってGUCCIの経営に関わっていくようになる。
 その中で一族間での争いと策謀が渦巻いて、それに勝利したマウリツィオは単独で会社の取締役社長に就任する。それにともなって地位と権力と金で肥大化していくパトリツィアのエゴ……みたいな。
 
 それでね、このパトリツィアがすごく人間味のある人物として描かれているんですよ。「あのグッチ家の人だ」と知ってマウリツィオに近づいたようにも見えるし、それでも純粋に彼自身に惹かれて付き合ったようにも見える。結婚することでGUCCIの威光を手にできる可能性に駆られて計画を立てるけども、それでも最初はどっかしら夫婦としての信頼関係があった上での計画だったり。すごく中途半端と言えば中途半端なキャラクターになってるのね。
 だけど私はそこが結構良いな、と思っていて。最初は自分の得になると思って近づいて、だけど近くでその人を見ているうちに本当に好きになっちゃって。だけどそこに莫大な金が手にできるチャンスがあるとしたら、手を伸ばさずにはいられなくて……なんというか人間ってそんな単純な存在じゃないじゃない?徹頭徹尾「金のために」動ける人なんてそうそういないし、かといって無垢で純粋な愛情だけを糧に生きている人もほとんどいないわけよ。だからその間で揺れる、うーん揺れるっていうか「どっちもある」のがまともで普通の人間の姿だと思うのね。
 そういった点においてこの作品でのパトリツィアは、マウリツィオに大して愛情を求めていたのか家系(とそれにまつわる金と権力)を求めていたのか、たぶん自分でもわからないぐらいに混じり合って混乱しているんですよ。やっぱ史実として語られるパトリツィアは、その、最後に何をしたか?って部分から「最低の悪婦」って語られやすいんだけど、「果たして人ってそんな単純ですか?」という目線を差し込もうとしている。
 この『ハウス・オブ・グッチ』が描きたかったのは、そういう人間の複雑さや、ニュースによって語られる単純化への抵抗だと私は思っていて、その部分は成功しているし、すごく良いと思いました。
 
 ただねぇ……こう登場人物の数とか、映画の尺とかの、話のわかりやすさの関係ではあるんだけど、パトリツィアとマウリツィオ以外のの人物が単純化されてたり、史実では複数人の特性を一人に集約してたり、あとはパトリツィアがやらかしたことの一部が他の人がやったことになってたりで。結局そこの複雑さを描くためにパトリツィアとマウリツィオ以外が単純化されてしまっているんですよ。仕方ないとはいえ、そこは描こうとしているものと反対に向かっちゃっているのが残念だったかな。
 
 あと私はハイブランドの精神性みたいな話が大好きなんですけど。この『ハウス・オブ・グッチ』で描かれた1980年代から90年代前半ってGUCCIにとってかなり苦しい時期で、まぁそれはマウリツィオとパトリツィアのせいでもあるんですけどw
 そこにあった問題って「ネームバリュー」にまつわるもので、つまり行き詰りつつあったマウリツィオの経営はしょうもないライセンス品を量産するようになったんですよ。GUCCIのマグカップとかGUCCIのバスタオルとかGUCCIのライターとかwそういうハイブランドが手掛けることがマイナスイメージにしかならない、しょうもないもんにまで名前を貸していた。
 それと同時期にあったのが「偽ブランド品」問題で、この時期って有名ブランドの偽物がめちゃくちゃ出回りはじめたタイミングで……それって偽物だから品質が悪いんですよ。でもだけどGUCCIとかシャネルとかルイ・ヴィトンとかそういった名前が、名前どころか「ロゴ」がついてるだけでいい。そこにあるのは本来、品質とデザインで価値を作り出してきたものが、その結果として「名前」だけしかみられないようになってしまった。
 この2つって密接に絡み合っていて、名前貸しでお金を稼ぐことと、名前が先行して偽物が出回ることって同根の話で。『ハウス・オブ・グッチ』でもほんのちょっとだけそこには触れていたんだけど、もっとがっしりそこの話をして欲しかったな。
 
 やっぱこう経済面の話に偏っていて、もっとこう「ハイブランドとしてのGUCCIが持つ意義の良さと悪さ」みたいな面を私は見たくて映画館に行ったんだなー……と思いました。うん、だからやっぱ「期待したほどじゃなかったな」って感想です。
 
 じゃあ私の見たかったものってどんなの?っていうと、この曲みたいな映画です。
 えーとSPANK HAPPYで「ジャンニ・ベルサーチ暗殺」です、聴いてください。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm11443969

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 次回は『でっかくなっちゃた赤い子犬 僕はクリフォード』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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