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築370年の古民家で、ここにしかない生きかたを /スペースマーケット Host Story

わたしたちの生きかた、考えかた、そして働きかたのすべてが大きく変わった2020年。

とくに、働きかたに関しては、リモートワーク・多拠点生活・地方移住など、今までになく多様なスタイルが受け入れられるようになりました。

どこで暮らしたいのか。
どんな働きかたをしたいのか。
そして、なにを大切に生きていきたいのか。

コロナ禍を生きるわたしたちは、急速な変化のなかで、そのひとつひとつを改めて考えなくてはならなくなりました。
でも、ていねいに見つめ直し、選びとる苦労は、決して無駄じゃないはずです。

いまから7年前。
東京で働いていた1組の夫婦が、茨城県の古民家に移住しました。
現在は、築370年の古民家を中心に、独自のライフワークをつくりあげています。

お二人の「選択」は、現在のわたしたちの「選択」のヒントにもなるかもしれません。古河への移住と今の生活について伺いました。

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江戸時代、大名行列が立ち寄った本陣「仁連宿」

茨城県古河市。
江戸時代は、日光街道の宿場町として栄えた街です。

ここにある、築370年の古民家「仁連宿(にれしゅく)」が、今回お話を伺った鈴木夫妻のお宅です。

仁連宿は、もともと、日光東街道における本陣。
大名や旗本、幕府役人などが利用する、もっとも権威あるお宿でした。

施設の一部は当時のまま保存され、らんまや装飾品など、江戸時代そのまま、といった趣です。

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「ここは、僕の父の実家になります。祖父が住んでいた頃は、休みのたびにここへ来て、日が暮れるまでずっと虫取りをしてました。この場所で虫取りをするのが本当に大好きでした。」と達郎さん。

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じつは、おじいさまが亡くなってから、この建物は約10年空き家になっていたのだそう。親戚の中でも、管理に無理が生じていたといいます。

「仁連宿」は、れっきとした歴史的建造物。そのため、行政への寄贈や賃貸、売却など、さまざまな選択肢を検討されたそうです。

ただ、一度自分たちの手を離れてしまえば、手入れをすることも難しくなる。「全く知らない人の手に渡るのであれば、いっそ建て壊そうか」という意見も出ました。

「僕自身は、東京で働きながら、ずっと大好きだった祖父の家のことは気になっていて、いつかあの家に住みたいとどこかで思っていました。

じつは、僕、「虫取り」がほんと好きで(笑)また、昔みたいに1日中「虫取り」したいって本気で思ってたんですよね。

あとは、音楽も好き。だからこの家で、『最高のリスニング環境が作れるな』なんてことも思っていました」

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そうは言っても、東京で働いていたなら、なかなか移住の決断はむずかしかったはず。

どうして、この家での暮らしをスタートできたのでしょうか?

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「この家は、一人で住むには大きすぎる建物なんです。誰か一緒に住む人がいないと、維持管理も難しいと思ってました。そんな時、今の奥さんをこの家に案内したんですよ。そしたら、この場所をすごく褒めてくれて。まだ付き合っている頃だったのですが、ここに住むことを提案してみたんです」

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奥さんの解(とき)さんは当時、沖縄から上京され、都内で働いていたのだそう。

これまでに住んだこともない土地、それも古民家で暮らすことに抵抗はなかったんですか?

「そうですね。即決で、いいねって言った気がします。昔から自然が好きというものあって、この場所で暮らすことにネガティブな気持ちはなかったです。仕事のことは少し心配でしたが、犬を飼いたい気持ちの方が大きかったですね」

二人の間で「思い切って東京を離れる」という意見が一致。
茨城県古河市での移住生活がスタートしました。

古民家を中心に暮らしを創る

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観光目的にきれいに整備した古民家も多いなか、「仁連宿」は、どこか、あたたかな生活感が印象的です。

「この家は歴史もありますが、私たちが生活する自宅でもあります。せっかくなので、歴史と生活感が共存する状態を生かしながら、この場所で何か事業をしていきたいと考えました」

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そこではじめたのが、なんと「干し芋」づくり!

それにしても、どうして「干し芋」に目をとめたんですか?

「当時は、東京の仕事をリモートでするかたわら、家庭菜園の延長で野菜づくりをしていました。なかでも、さつまいも作りがすごく楽しくて、どんどんのめり込んでいきました。

そんなとき、近所の畑仲間が、さつまいもを薪で蒸して、天日で「干し芋」を作る方法を見せてくれたんです。サツマイモの素材だけでつくるという、この商品の深さにどんどんはまっていきました」

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まさに、この家とこの環境が、夫婦を「干し芋」づくりという天職に引きあわせてくれたのかもしれません。

「楽しいと思えることを仕事にしていきたい」という二人が、サツマイモから育て、寒いなか手作業でつくる「仁連宿ほしいも」。いまでは、予約開始と同時に売り切れる人気商品となっています。

ほしいも差し替え

スペース貸しのきっかけは古民家結婚式

一方、「干し芋」づくりと並行して計画していたのが、「撮影スタジオ」としての古民家の貸し出しでした。

「当初から古民家スタジオとして貸し出したいとは思っていました。ただ、どうすれば借りたい人と繋がれるのか具体的なイメージが持てず…」

その一歩を踏み出すきっかけは、なんと、自分たち自身の結婚式。

「僕ら、式はちゃんとはやってないんですが、親戚だけで食事会をすることにしたんです。せっかくなのでこの家でやろうと思って。」

二人は、フードコーディネーター「もこめし」さんに、古民家での結婚式のアイディアを相談。「おもしろいね!」と共感した「もこめし」さんは、なんと、会場全体のディレクションまでやってくれたのだそう。

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「自分たちで裏庭から竹を切り出して、お花屋さんが竹と山野草をつかって装飾してくれました。衣装は、私の地元・沖縄の琉装(りゅうそう)という伝統衣装を選びました」と解さん。

素敵な雰囲気は、家族からもとっても好評だったそうです。

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結婚式という、はじめての「スペース貸し」をきっかけに、「撮影スタジオ」の計画は一気に進みました。

そして、とうとう「仁連宿」をスペースマーケットに掲載。

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「登録してすぐの利用は、自分たちも知っているアーティストの撮影でびっくりしました!それからも、ポートレート撮影や作品撮影、コスプレ撮影など、関東一円からいろんな方に撮影スタジオとして利用いただいています」

お二人の居住空間でもあるので、ゲストへは、利用できる場所や注意事項などを対面で説明し、お互いが安心して貸し借りできるよう心がけているそうです。

時には、仲良くなって撮影した写真を送ってくれる方や、干し芋を購入してくれる方もいるとか。

「自分たちが干し芋を作っている隣の建物で、コスプレイヤーさんが撮影会してると思うと、なんか、面白いなって(笑)」

そんな人気スペースも、干し芋の作業が繁忙期となる真冬は貸し出しを一時中止。本業である干し芋作業に専念されているそう。

真冬の古河市は凍えるほど寒くなる日も多く、時に、古民家の中は氷点下になる日も。

そんなに厳しい生活、正直ちょっと嫌になっちゃったりしませんか…?

「いえいえ!冷え込みがきつくなると干し芋が美味しくなるんですよ」と明るく笑う解さん。干し芋のためなら、寒さにも肯定的になれるそう。
さすが、「干し芋愛」が強い!

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その土地に向き合いながら生きる

移住した当初は、サラリーマン兼農家の二足のわらじを履いていた達郎さんですが、1年前に退職。

どうして、東京の仕事に区切りをつけたんでしょうか?

「せっかくこの土地にきて、山や畑に囲まれた環境がある。自分の身体を使って、経験を積み重ねていくような仕事をしたかったんです。だから、デスクワーク中心の仕事を、ずっとこの場所でするっていうのは考えられなかったですね」

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今は、本業である「干し芋」を事業の柱として、この地を活用した二人らしい暮らし方を模索しているそうです。

「いつか陶芸の窯を作りたいんですよ。あとはツリーハウスとか(笑)
田舎のお家のような感じで、いろんな人が自分に必要なタイミングで、定期的に通える場所になれたら。あと、夏は故郷の沖縄との二拠点生活もできたらな、なんて思ってます」

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毎日デスクに座って働いている私には発想もできないような生活を。
鈴木夫妻は、かわいい2匹の甲斐犬と一緒に、軽々と語ってくれました。

リモートワーク、多拠点生活、そして地方移住。
コロナ禍で、わたしたちの働きかた・考えかたは、急速に変化しました。

2020年は、わたしたちが「何を大切にして生きるのか」見つめ直す転機となったように感じます。

「自分の身体を使って、経験を積み重ねていくような仕事をしたかった」

達郎さんの言葉が、深く心に残りました。

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インタビュー:スペースマーケット 吉田由梨 

文:スペースマーケット 吉田由梨・山口優希