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景色を探しに

「お先に失礼します」

この言葉を聞くのが嫌だった時期がある。
シフトで動いている職場では当たり前に聞かれる言葉だったけれど、その言葉をあびて「お疲れ様です」と返すのに心底うんざりしていたのは、自分が送り出す側ばかりだったからだ。

教育職の管理職。
若い後輩たちに指導し、職場全体を動かしていく責任ある立場はやりがいはあるが、精神的にも肉体的にもキャパオーバーが通常で、行事ともなると拘束時間はいつもより増え、ストレスも増えていく。
そんな時にいつもより聞く「お先に失礼します」の言葉にため息が出いていた時期だった。

教育職の残業時間の多さは世間的にも取り上げられるようになってきて、職場自体も動き始めたものの、やはり簡単には改善されるわけではなくて。
遂に心身ともに限界を迎えた私は、合計7年の管理職生活を管理職辞退という形で終えることにした。

辞退して平社員に運よく下げてもらえてほっとしたのもつかの間。
体は管理職の生活をしっかり覚えていて、一日中神経を張り巡らせていることが続いていた。
職場で何かあればすぐに駆け付けるし、後任の子の仕事が進まなければ指導もした。
つまり、管理職ではもうないのに、私は抜け出せないでいたのだ。

これには自分もかなり驚いたのだけれど、人間、慣れ親しんだものを急に変えることはできないんだなぁと実感した。
経験豊富な人材こそ、前の職場のやり方を引きずったり、自分なりのやり方を変えられない気難しさがあることは、管理職時代に人事に携わっていて痛感したことだった。
なのに、今、私はその気難しい経験豊富なヤツになっていたのだと気づいたときは心の中で頭を抱えていた。

管理職時代は、誰かが体調を崩せば気遣い、全体に修正したシフトを連絡し、配置を変えて指示を出し、人員不足の場所には自分の仕事を置いて入る。
不安がある人には相談に乗り、アドバイスをして、励まして、たまには叱咤して。皆が軌道に乗ったらようやく自分の管理職の仕事に移る。
緊急の連絡が来れば、深夜でも早朝でも連絡を回して先の予定を決めていた。
やりがいはあれど、スイッチがONになりっぱなしだったようで、気が付けばそれがOFFに出来なくなっていたのだと思う。

それがOFFにできるようになってきたのは、半年ほど経った頃。
自分がもう運営の中心ではないんだとこどかしこで感じるようになって、手放す勇気とあきらめと、自分なりの時間を使いたい欲求がいいバランスになってきた頃だと思う。

そして定時で上がれるようになって、「お先に失礼します」を言う側になっていたことにも気づく。
そうだ 私は「お先に失礼」していいのだ。

失礼した後に何をやろうか?

そんなことを次第に考えるようになって、
ゆっくり寄り道して帰ったり、休日に散歩してみたり。
コロナ禍だったこともあって、オンラインのつながりを増やした。
夜にZOOMをしてわいわい話したり、企画を考えたり。
普段生活していただけでは話す機会ができないような人々と話せたり、
共感したり、笑い合ったりする時間が持てた。
今までは職場のことばかりだった毎日が、
少しずつ緩んで ほどけて 整っていった気がした。
それは、ぎゅうぎゅうだった心の中に、そっと風が入ってくるような感じだった。

平社員になって1年ちょっとが過ぎた今、新たにもう一つのオンラインコミュニティに参加し、関わりや刺激を体感している。
参加しながら、自分が何をしたいのかを改めて考えてみた。

きっと私は新しい景色に出会いたいのだ。
今まで必死すぎて見えなかった景色を
踏み出した先に見える新たな景色を
見てみたいという好奇心が生まれている。

失った時間やものもあるけれど、
これからの景色と、その先にある出会いを大切にしていきたい。

そう 思った日曜日。

さぁ今日は どこへいこうか?


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