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シン・エヴァンゲリオンの感想を供養したい|なるべく事実だけ

感想を供養する場所がなかなかないのでnoteで供養してしまおう作戦。
あと、所詮自分は20代半ばでしかなく、エヴァの25年間の年月を辿れてきた人間ではないので、新規なのに遂に完結した!とかのたまう薄ら寒いことはしないように心がけてますが、気に障ったらすみません。

全体感

おおまかなプロットは新劇場版シリーズは旧劇場版と同じですが、マルチバース的な世界をすべて収束させて、オタク帰れで終わったなという感じで、エヴァンゲリオンって綺麗に終われるんだということに驚きました。
今回の場合はオタク帰れというよりは「色々あったけどみんなにももう現実があるよね」くらいの優しさが満ちていたように思います。世界の説明も丁寧でしたし。

「シン」というシリーズは解釈は複数あれど少なくとも事実として既存の物を再定義しているシリーズであるはずです。このエヴァンゲリオンでも、エヴァンゲリオンというシリーズそのものを再定義しているものになっているなと自分は感じました。

ラストの裏宇宙の下りがもろ再定義というのはあるのですが、キャラクター性とかを再定義しているというのもあります。
Qはシンジ君の主観から見た世界であって、他のキャラクターの思いは別の所にあるよねというのも再度見れた形。

あと主人公がミサトさんとゲンドウだった。ミサトさんとW加持とシンジ君の関係が良すぎた......
今回のミサトさんは本当に母親だったし女性だった。

俺たちのアスカがケンスケを選んだ話

ビデオ回しているシーンやケンスケの前で平然と裸になっていてケンスケも普通にしていたので察してはいたが...
自分はエヴァンゲリオンのヒロインはアスカしかいないだろ?!という人間なのでしんどい。

真面目に話すと、ケンスケ再登場時点でかなり加持さんにビジュアルが寄っていて、職業も便利屋なので割と加持さん要素が強い。キャラクターも飄々としているが他者を慮るというような性格で、シンジのメンター的な立ち位置(破での加持さん)だというのもあって、結局アスカの好みはあんま変わってない気もしてる。我ながら無理矢理なのはわかってる。

イスカリオテのマリア

冬月がマリのことを呼んだシーン。
イスカリオテの〇〇というと想像されるのはイスカリオテのユダ。
イスカリオテのユダといえば裏切り者、ということで、このシーンについてはネルフ側の古い知り合いであるのにヴィレ側についているということを揶揄していると解釈できる。

マリではなくてわざわざ「マリア」と呼んでいることと〇〇のマリアと言えばマグダラのマリアだろうということもあってここともかけているだとか考察あるいは妄想できそう。マグダラのマリアといえばイエスの復活を最初に目撃する女性なのですが、「シンジがキリストである」というような考察を踏まえれば、そのシンジを裏宇宙から引き戻すのがマリだというのは符号します。

わざわざマリアと呼んでいるのはやはり何らかの意図があるはずなので考える余地は大きい。ナザレのイエスの母であるマリアはユイであろうことを考えるとマグダラで考えるのが一番丸いと思うんですがねー。

漫画版のマリの設定をそのまま捉える気もしないのでどこまでが事実かはわかりかねますから、マリクローン説とかはぶっ飛びすぎてて根拠がないなとは思います。

シキナミタイプとオリジナル

今回一番衝撃だったかもしれないやつ。アスカまさかのクローン体。

全然良くわからない点としては式波のオリジナルって誰なの?ってところと、シキナミクローンは何のために作られたのかというところ。

後者に関しては今回のインパクトのトリガーにするため、というのは考えられるけれど、根拠が非常に弱い。

オリジナルについては本当によくわからない。ざっとネットの海を眺めた感じでは、1.惣流 2.式波という過去にいた人物 という2つくらいが有力なように見える。
1の惣流に関しては全く根拠となる事実描写がないので妄想の域を出ていない。2は素直に考えた結果なのだけれど、それだと精神世界でのアスカの過去描写と合致しなくなる。ゲンドウに管理されていない「幼少期」という概念は存在して良いのか?

もっと言えば綾波は各綾波で記憶や人格を共有できてないのに、アスカだけできるというのも良くわからない。嗜好を制御できるというような話(別レイに対するアスカのセリフより)もあるので、そういったことは可能だがしていなかったという話なのかもしれない。
それで言えば、アスカだってシンジに対して行為を抱くようにプログラムされているという方が自然で、ケンスケに向かうのも良くわからなくなってしまう。

ループ構造の話

今回はループ構造があるが、これは2つ見えていて、それが噛み合わない。

1つは裏宇宙でのループ。ここはループというより様々な可能性が見せられているみたいな話なはずだが、その中でシンジ(というか碇一家一同)が望んでエヴァのない世界を構築した、ということだとして理解している。
これは、「シンの後半の中でループ」しているといえる。つまり、序破Qがあって、シンの中の特定部分で何度も繰り返すという構造なはず。

一方で、この裏宇宙でも明かされるように、カヲル君はループしている。裏宇宙でのループを別として、新劇場版全体で見てみると、カヲル君のループは序の時点で起こっている。
つまり「新劇場版全体の中でループ」しているといえる。なので裏宇宙のループ理論ではカヲル君のループの説明が全くつかず、意味不明となる。
ゲンドウの「お前の望まなかった一つになる世界だ」みたいな話もループの下りの前にあるので意味不明である。まだそもそもそんな過去が存在しない1ループ目だぞ。

あと、旧世紀版はこのループには含まれない説を唱えている人が散見される。「渚」だから1と13というので、TV版では17使途だからであるとしている。
ただ、これは描写としてそうであるという事実はないのであくまで考察(あるいは妄想に近い)と言っても良いはず。マルチバース的なエヴァンゲリオンを収束させた、という方が自分の直感的には正しいように思う。
TV版も含めたループだ、というのを棄却しきれない理由としては先のゲンドウの発言がある。また、カヲル君の「また三番目とはね。変わらないな、君は。」という発言もあり、(少なくともエヴァンゲリオンパイロット適格者の)序数は変わりうることが示唆されている。

今回はことさらに1と13、表裏一体、一対、みたいなところが強調されている。この辺もループの示唆にはなってる。

視聴回数が不足しているからわからないというパターンもあると思うけど、これに関しては見逃している描写はないと思う。

メタの話

ループが意味不明になったのは、メタ的表現が入り乱れるようになったタイミングだった。
「ループ」自体がある種のメタ的な表現だと考えるなら、このあたりの意味不明さはある程度解消される。

「メタである」というのの根拠となる描写は、イマジナリーと物理が溶け合う、旧劇のタイトルの掲示、先のゲンドウの発言、多様なオマージュ、などが存在しているので、メタなので何でもありだよくらいのスタンスで見てる方が正しい気はしてくる。

テレビシリーズのオマージュも兼ねてやっているんだよな?というようなシーンもあったので、やっぱりテレビシリーズは意識してほしい、というかすべてのエヴァンゲリオンシリーズを意識してほしいという意図はあるんじゃないかと妄想。

旧劇場版への回答

浜辺でアスカとシンジが二人きりになって、お互い「あの頃は好きだった」ということを確認し合う。
素直に考えた新劇場版視聴者による解釈はなるほどあの「破」の頃は好き同士だったけど大人になっちゃったんだなという程度だろうが、旧劇視聴者の解釈が変わるようにもしてあるのが非常に憎いところだった。

我々からみた「あの頃」というのは紛れもなく「あの頃」だというのを感じさせる舞台設定で、さらにそこから映像のレイヤーが下層に向かっていく。
アスカを「あの頃」や「エヴァ」からは解き放ったけれど、我々はシンジ君同様に「あの頃」と「エヴァ」に縛り付けられたままだった。そんな中でマリが表れて現実へと回帰し手を取り走り出す。「今は現実があるよね」くらいの優しいメッセージに思えた。

1度の説明ではわからなかったので次見る時に注意すべきところ

1度で終わりにした方がメッセージ的にも綺麗だなと感じるので、そういう芸術だ、と思って2度め見に行くかは割と悩んでいます。

見に行くとしたら以下の事実描写がよくわからなかったので理解したい。
・アドバンスドアヤナミシリーズ
・アナザーインパクト
・アディショナルインパクト

あとは以下の解釈や考察をもう少し事実を見て考えたい
・ナディア関連
・ハイカイ
・エヴァンゲリオンイマジナリー
・ゼーレの視点とネルフの視点

見てもおそらくなんの事実もわからないだろうから絵コンテとか待つやつ
・結局マリよくわからん
・L結界
・槍関連
・旧劇関連
・カヲル君周り、特に渚「指令」(ループの一つと解釈するのが一番丸い)

なるべく妄想にはならないように考えたい。

理系からの文句

理系院生からの文句を。

・0706作戦
何のコード触ってんすか?意味あります?
・0に最も近い数字…∞です!
は?
・裏宇宙
は?

最後に

ミサト/リツコ/加持のストーリーが以前から本当に好きで、今回もめちゃくちゃ良かったなと感じます。加持さんのカッコよさに惹かれてエヴァを見ているかもしれない。

一つ残念だとするならナオコの話とかアスカ母(キョウコ)の話とかあの辺世代の話がほぼ補完されなかったところかもしれません。まあ新劇場版のリツコさんは前から言われてた通りあんまりネルフの深いところには関与していなさそうだからいらないと言えば要らないのかもしれませんが。

はじめに(あえて最後につけてる)

基本的に、
1.事実: 映画内で描写があること
2.解釈: 事実の受け取り方
3.考察: 事実を基にしてそこから考えられる要素
4.妄想: 事実に基づかない想像
として書いています。1->4の段階で「真であるかどうか」がおおよそ決定されていると思っています。

事実 = ゲンドウがお前が望まなかった一つになる世界だ とシンジに向って発言した
解釈 = この世界はシンジが望まなかった世界である。シンジはその世界を望まなかったことが(過去に)ある。
考察 = 旧劇の世界の暗示、あるいはメタ表現である。
妄想 = シンジ君が望まなかったのは成長したからだ、シンジ君は神の子だ

みたいなイメージで書いてます。イスカリオテのマリア(事実)から裏切りを連想するのは解釈だけど、マリアからマグダラまで考えたりユダの福音書持ち出したりするのは(少し妄想に近い)考察、ここからマリはクローンだの考えるのは妄想、という定義で書いています。

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