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レインボー難民自立支援プロジェクト「PRFK」はじまりのお話し

PRFK Project: ファッション製品製作によるレインボー難民自立支援プロジェクト

これは、プロジェクトを彼らが「はじめるまで」のお話しです。

Progressive Rainbow Fashion Kenya <PRFK>というケニア/ナイロビのレインボー難民によるファッション製品製作チームのことについて、レインボー難民*支援に興味ある方への記録/情報提供/整理のためになればと思って背景も含めて、できるだけ細かくかつまとめて書きます。ぜひ多くの方に読んで、知っていただけましたら幸いです。彼らに寄り添って支援をしてきたRRCJ*の活動も含めて書いています。

*レインボー難民:母国にSOGIが理由となる迫害を受ける状況、法律があり、母国から逃れてきた難民たちの総称です。(母国で迫害に遭ったケースだけでなく、紛争などの理由によって母国を逃れ辿りついた難民キャンプにて、SOGIが理由となる危険な状況を持つ方が登録される方々も含まれます。)UNHCRではLGBTI難民としていますが、私たちはレインボー難民と呼んでいます。

*RRCJ:一般社団法人Rainbow Refugee Connection Japan。日本のレインボー難民支援組織。

遡って2009年以降、ウガンダ、ブルンジで同性愛者をより厳しく取締り、罰するようになり、身に危険が及んだ方々がカクマ難民キャンプへ避難し、レインボー難民となり、集まってきていました。(比較的入国が容易で難民受け入れに寛容なケニアへ避難してきたと思われます。)

そして、2014年に再採択されたウガンダの反同性愛法により、数百人規模のレインボー難民がウガンダからケニアUNHCRに助けを求めました。その頃500人ほどいたケニアのレインボー難民のうち、欧米からの(特にLGBTs当事者が多いようです)支援により、300人程は都市部難民としてナイロビでの自活をしました。支援を受けることができず自活もできなかったレインボー難民たち、特に子持ちのレズビアン、障がい者はすべてカクマ難民キャンプに送られていました。そうした経緯でその時200人以上の大きな集団のレインボーコミュニティーが kakuma 3地区にありました。支援が行き届かなかったこのコミュニティーへRRCJが支援をはじめました。PRFKのメンバーもこのコミュニティーで生活をしていた人々です。

<↑カクマ難民キャンプの位置>ウガンダとケニアの国境近くにあります。もともとはスーダン内戦によって発生した約3万人の難民を保護する目的で1992年に設立されました。

東アフリカでは、ウガンダ、ブルンジなど、「反同性愛法があり、かつ紛争地域ではない」という地域があります。カクマ難民キャンプの中に、紛争のないウガンダ、ブルンジの人々がいると=SOGIを理由とした難民であるとすぐにバレてしまうという状況が発生していました。

カクマ難民キャンプ内の難民、原住民はナイロビのケニア人よりホモフォビックな人々が多く、LGBTIに対して日常的に暴力をふるってしまいます。しかも、これを警察に届けても加害者は正しいことをしたと罰されないどころか暴力をふるわれたレインボー難民たちがカクマ警察からも暴行を受けるのです。

カクマ難民キャンプのレインボー難民たちは、常に暴力を受け、経済的に困窮し、仕事や教育の機会も奪われて他の難民たちにくらべてとても厳しい状況にありました。ケニア政府、ケニア難民局、カクマ警察、他の難民、原住民からの差別迫害から、UNHCRを頼って逃げてきた彼らをUNHCRは保護できない状況になっていました。

真夜中に他の難民が、レインボー難民のシェルターをナイフで引き裂いて、侵入し、暴行するケースが絶えず、彼らは安心して眠ることはできませんでした。レインボー難民の安心して過ごせるシェルター、食糧、医療、教育の場などを得るため一緒に試行錯誤をして、RRCJは支援をしてきました。

2018年6月、そんな状況でしたが彼らは世界初の難民キャンプでのレインボーパレードも行いました。

だんだん彼らの安心できる環境や繋がりが構築できていると思われてきていた2018年12月に、レインボーコミュニティーは他の難民たちから大襲撃をうけます。すべて破壊され、持ち物も、洋服や下着までも他の難民たちに根こそぎ、すべて、奪われました。

その後、UNHCRになぜ守ってくれなかったのかと抗議を行いました。すると今度は、ケニア警察が彼らを暴行。あわや失明するほどにに殴られ、他の難民からもナイフで切られ、20人以上のレインボー難民が負傷しました。

この警察による暴行が、UNHCRジュネーブ本部に報告され、210人のレインボー難民がナイロビのUNHCRの緊急避難施設へ移動をしました。(数十人のレインボー難民はカクマ難民キャンプに残されました)

しかしこの措置の裏側では、この後にカクマ難民キャンプ内にレインボーコミュニティーを作ることを禁止されることになり、それによって非常な危険な状況がまた生まれました。いまだ難民キャンプにおけるレインボー難民の安全を守るという問題は収束の目処がたっていません。

ケニア難民局の許可がないため、RRCJからのシェルターやコミュニティづくりの支援は現在、違法となってしまいます。この後、シェルターも与えられず、野宿し、暴行を受けるレインボー難民が大勢生まれています。これについて、欧米からも注目され抗議や支援が行われています。

2019年4〜6月、ナイロビのUNHCRの緊急避難施設にいたレインボー難民たちは支援を打ち切られ退去を強いられました。同じ頃、ナイロビで自活を始めていたグループも逮捕が相次ぎ、多くのレインボー難民がカクマ難民キャンプへ戻されました。

PRFKはこの時に、ナイロビで都市部難民として自活が必要であるために活動が始まりました。トラウマがあり、病気があり、どうしても難民キャンプへ戻りたくない仲間を守りたかったこと、そして自活を成功させて、ホームレスになってしまう仲間、難民キャンプにいる仲間を助けたかったからでした。

はじまりのお話しはここまでです。

また現在に至るまでのお話もいつか書きます。


PRFKとかRRCJとか名称が混ぜこぜになって読みにくかったのではないかと心配しています、わかりにくくてごめんなさい!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


PRFKの様子がわかるSNS↓

RRCJ WebShop Instagram @rrcj_shop &nbsp;https://www.instagram.com/rrcj_shop/

help kakuma rainbow refugees Facebook公開グループ↓

一般社団法人Rainbow Refugee Connection Japanのウェブサイト↓

http://rainbowrefugeejapan.org/

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