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イライラすることは、悪くない。

と、私は割り切りすぎている。笑

イライラすることも
怒っちゃうことも
私はいいよねって思っている。

そりゃ、常にイライラするのは別だし
そういう人にはなりたくないけど
何かあったときにイラッとしたりするじゃない?

私の日々のことで言うと

・網戸が毎日外れる
・子どもたちの悲惨な食後の現場
・物が土間に落ちる

など、毎日のようにイラッとしている。笑


たまに、怒っちゃいけない
みたいな話を聞くと
「…それ、大丈夫??」
って心配になるんだよね。

というのも、私がそれでとてつもなく辛かったから。

「子どもに怒るなんて、ダメな親だ…」
「怒るのはいけないことだ。」
「怒っちゃった自分はダメな人だ…」

と、なぜか"怒るのはいけないこと"
勝手に決めつけていて
それに負のスパイラルが起こっていた。

怒った自分に、罪悪感。

移住→結婚→出産してから目まぐるしすぎて
そこから抜け出すのに
私は10年くらいかかってしまったからさ
あの頃、本当に辛かったな〜って思うんだよね。

だって、怒っちゃいけない!っていうのも
感情を抑え込んでいるってことじゃない?

怒りの感情だって湧くものだから
そこを抑え込んでしまうと
変な歪みがでてきてしまう。

喜怒哀楽、だよね。

この間、友達と話してて「確かに!」と
気付いたのは
感情を抑え込むと
心から楽しむことも出来なくなる
ということ。

あ〜…思い当たる節がありあり。笑

私はその時期
自分の好きなことも分からなくなっていた。

でもある時

イライラしたっていいか!
 だって、イライラするんだもん!


と、自分の感情を全て受け入れた時に
とーっても楽になったし
人生を楽しめるようになった。


手放したんだよね、いらない拘りを。


そして、全部の自分を受け入れた。


そこから
自分を生きられるようになった。


でもさ、時間をかけて経験したからこそ
腑に落ちることであって
頭だけで理解しようとしても難しいんだと思う。

本とか、SNSとかで
生き方とか、心の在り方とかをみて
知った気になっても
それは腑に落ちているわけではないし
分かった気になってしまうのが
なんか…危ない気がする。

いや、情報だけで腑に落ちるんです
という稀な人もいるかもだけど
それは本当に稀で。笑

やっぱり、知識があっても
経験がなかったら
本当の意味では分かっていない気がする。


そうだな〜
そういう時に私の支えになったのは
尊敬する人生の先輩からの言葉だった。

経験してきた人からの言葉は重い。

聞いた当時は意味が分からなくても
年月が経った頃に理解できたりする。


お手軽な感じの言葉や
それっぽい言葉や
誰が発信しているのか分からなかったり
その人を心から信用できていないとか

そういうのは私の性に合わないみたい。

こう見えて、結構冷静に判断しているw


そんなこんなで
別にイライラしたっていいし
楽しむことは全力で楽しむし
泣きたい時はいっばい泣くし

喜怒哀楽を味わって生きよ!
と思ったのでした。


ではまた!


nön

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