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花と人は似ていると知った


わたしは今まで、飾ってあるお花を見ても、ただ「綺麗だな」としか思っていませんでした。

でも、今回フラワーアーティストの岡崎万奈さんとお話ししたことがきっかけで、花の見方や自然の見方、それだけでなく「表現されたもの」の見方まで変わったように思います。

そんな素敵なきっかけをくれたインタビューを記事にしました。


わたしはかなり自分に自信がなくて、うまくいかないことがあると自分を責めて、負のスパイラルに陥ってしまうことがよくあるのです。

今は人と比べることはかなり少なくなったけれど、少し前まで「自分は人と違うんだ」と本気で思い込んでいたし、それで自己肯定感が低くなったと自分では捉えています。

万奈さんの言葉が、わたしと同じように、「自分は人と違う」とか「自分には価値がない」と思っている人が自分を大切に思うきっかけになればと。

そして、周りの人への関わり方についても考えるきっかけにななればいいなと思い、お届けします。



岡崎万奈(おかざき まな)
OL経験後、花好きが止められず転職。ブライダル、花屋、インストラクターと10年花仕事に従事。震災をキッカケに福祉へ転職。高齢支援の介護、相談員、障がい支援の相談員を経験。異分野の経験と実践の中から自然と福祉とアートの融合に注力している。


わたしが働いている「風土はfoodから」という飲食店で、万奈さんはフラワーアーティストとしてお花を飾ってくれています。

万奈さんがお店に飾るお花たちは少し特殊で、いわゆる「生け花」とは一線を画しているのです。

その個性的な植物たちの裏側にどういうテーマや想いが込められているのか、万奈さんはどういう気持ちでお花を飾っているのか興味が湧き、伺ってみることにしました。



心根



―まず、今回「風土はfoodから」に飾っていただいた、フラワーアートに込められた意味を聞かせてください。

今回のテーマは「根」Roots。(植物の)根、根菜類、(舌・耳・翼・指などの)付け根、根元、根源、根本、核心、基礎。


植物、作物、人にとって最も大切な、ブレないための軸となる部分。人でいうなら「心根」。全てが生まれる命の源。

大切なのは目に見えないところ。

"根"を太く強くしていく風土はfoodからの食事によって、人やモノコトが健やかに育っていきますように。"育つ場"のコンセプトに寄せて、そのあたりを土に隠れた根に託したデザインです。

なので、基本これは不動で、ここから何かが増えたり減ったり。干し柿など、吊るしたいモノがあれば季節や気分に応じてお好きに絡めてください。

洗面台の前に飾ってあるのは、スパイラルバンブーといいます。真っ直ぐタイプもあるけど、曲がってる方が画一的じゃない感じが出てるかなぁと。

あと、根が生えてるから根繋がり。この子は切らずに、お水を毎日変えてもらえると芽がよく伸びるはずです。枝は今は生きてて色がありますが、ドライになるにつれ色の差はなくなるはず。

根ヒゲを模したものも飾ろうと思ったんだけど、まだ命ある枝が美しいので、止めました。以前から飾ってあったのドライ花束は、枝から生まれたモノ、に(位置づけが)変わったという感じです。


―"育つ場"としてのコンセプトに寄せて飾られてるんですね。特に「心根」という言葉がとても素敵で、すごく心に刺さりました。万奈さんがその言葉にどんなイメージを持っているのか、気になるので教えてください。

「心根」のイメージかぁ。私は花をずっとやってきて、人と花って似てるなと思ってたんですよね。この頃は農家さんも絡んできて、植物、作物、全て繋がるんだなぁと。

「根=心」

生まれる前やその瞬間はきっと悪いはずもないのに、撒かれた環境や水や光(出会う人達)、そこに愛があるかないかで咲く花や実が変わってしまう。でももし傷ついたとしても、時間をかけて関わりをもつと、息を吹き返していく。それは自然も人も同じだなぁと、体験から思うんです。今は障害をもつ人と関わっていてさらに実感しています。生きているモノは、実はとてもとても強い。その力を信じて諦めない限り、再生する。でもそこには絶対に愛が不可欠なんだけども。


弱さを知るということは強み


日本は「違う」ということに恐れが強いんだよね。違いが一致することが美しい調和を生むと思うんだけど。


―違いが一致?違いがその場に共存することで、新しいものや美しいものが生まれるイメージ?

そう。コラボレーションの醍醐味はそれだと思っていて。ベクトルが違う人やモノが、信念において一つになる。それが自分1人で何かやる以上の喜びと美しさを生む。


―んん!今も実際、万奈さんの、自分との感性の違いがとても美しいなと思ったし、違うからこうやって会話が生まれた。

(そういう瞬間に)めちゃめちゃ感動するの。自分の力の及ばなさも知るんだけど(笑)でもそんなことよりも、さらに良い世界に届くなら、自分のプライドとかどうでもいいなと思える瞬間がヤバい(笑)


―うん、わたしは今まさに及ばなさを感じていて。「風土はfoodから」で、なにかやる喜びより、毎日役に立てない・なにも出来ないもどかしさばかり感じてます。

え?そうかな?めちゃめちゃ役立ってると思いますよ。人の価値は何かが出来るから、というものではないので。そいちゃんは、そいちゃんとして、そのままあの場に関わることが何より。


思うのが、わたしはよくも悪くも弱いから、こうやっていつもいろんな人が素敵な言葉をかけてくれる。でも、だから、人の優しさとか、人の持っている素敵なものをいつも分けてもらえているなぁって。誰よりもその人の素敵な部分を知れるから、実は弱いっていいことなのかもしれない。(笑)


みんな弱いと思うけどなぁ。弱さを知るということは強み。
高齢とか障害で学んだけど、結局は目の前の個と向き合うっていうのが一番なんだよね。自分のためにも、相手のためにも。

わずかでも自分から出る何かによって、誰か1人が笑顔になれたらいいなぁというくらい。それくらいなら出来るかなと。そして知らないうちに、お互いに支え合っているもんだと思う。出来る範囲のことをやるということは尊いと思う。



自然は神様から与えられたギフト


―ところで、わたしは、こういう心のあり様とか自分が大切にしていることは、こうやって考えたり人と話したりするだけで十分満たされるし、それが好きなんですけど、万奈さんはそれを花で表現して、自分の「思想の象徴」として近くに置いておきたくて、フラワアートをやっているんですか?

あー。私は言葉はそれほど得意な意識はないから、花で、「愛はあるんだよー」って形にしたいとは常に思ってます。自然は神様のアートであり愛だから。

でも近くに置きたいとかはないかなぁ。誰かのために作るものだから、作った瞬間から私の手から離れる。誰かの心を癒すものであって欲しい。癒すは、おこがましいか。せめて、心をほぐす。


―あぁ、わたしにとってはそれが文章で残す、ということなのかもしれないなぁ。神様のアートであり、愛…?

そうそう、神様から人間に与えられたギフト。
自然美を超えることは出来ないと思っていて。自然の景色からいつもデザインのヒントをいただく、という感じ。食べ物もそうだよね。互いに与え合い、分かち合う。


―なるほどなぁ。



「お水を毎日変えてもらえると芽がよく伸びるはず」



―あと万奈さんの作品の説明のなかの、「真っ直ぐタイプもあるけど、曲がってる方が画一的じゃない感じが出てる」という言葉が、「風土はfoodから」のスタッフのことを言っているみたいで(笑)いわゆる画一的な生き方はしていない人たちだなぁって、なんか今日働いていて改めて思ったんですよね。(画一的なのが悪いという意味ではなく。)

あはは!まぁそれもありつつ、いつもの自分目線とは違う視点を持てたらいいねってとこですね!きゅうりとかも別に曲がってても美味しいのは美味しいじゃない?(笑)


―違う視点かぁ!あと、「この子は切らずに、お水を毎日変えてもらえると芽がよく伸びるはず。」という言葉も。人ってどうしても他人の出来ないところや弱いところが目についてしまう。でもちゃんと水をあげれば(=リスペクトや愛、褒めることをすれば)伸びるんだよ、って言われているみたいで、うるっと来ちゃいました。水を与え合いたいなって。万奈さんがそこまで考えていたかはわからないですが(笑)

素晴らしい深読み(笑)でも、全体として伝えたいところはそれです。
花は、同じものが一つとしてなくて。一本一本をよく見ていると「あぁこの子はここに置くと一番美しい」っていうのが分かるようになるのね。人も、同じだなぁと。

だから、作りたいものはいつも概要だけ考えていて。あとは素材を見てるとどこに配置すればいいか自然に決まってくる。花の仕事を10年やった財産は、それを花から教えてもらって、身体で覚えられたことかなぁ。福祉の仕事にも活きてます。五感で知ろうとする感覚。

なーんて偉そうなこと言ってみたけど、近所に咲いている花を一輪摘んで、空いてるコップに活けて食卓に置く。そういう毎日が一番豊かだなって実は思ってます(笑)

とゆーわけで、そいちゃんは、そいちゃんのやるべきことをやれば良し♡



自分が自分であるだけで価値がある


万奈さんの言葉ひとつひとつが心に染みて、話しているときはずっと半泣きでした。


大切なところは目に見えない、ということ。根(人でいう心根)は不動で、その軸になる部分があるから、そこからたくさんのものが生まれるということ。

傷ついても、時間をかけて関わりを持てば、息を吹き返すこと。画一的でなくても、美しいということ。

毎日お水(愛)を与えれば、芽がよく伸びること。よく見ていて、一番美しい場所に置かれれば、輝けること。

万奈さんの「人と花って似てる」と言う感覚が、じわじわと自分のなかに染み込んできて。自然のあり様にこんなに感情を揺さぶられるとは思いませんでした。


万奈さんの、わたしたちは自然や食べ物など、ギフトをもらっている、というお話から、

「わたしたちは他人や自然から本当にたくさんのものを受け取っているのに、自分にはなにかが足りていないとか、自分は取るに足りない存在だと思うのは、たくさんのことを与えてくれている人たちに失礼だ」という話を思い出しました。

そして、「人の価値は何かが出来るから、というものではないので。」という万奈さんの言葉も合わさって、

「わたしがわたしであるだけで価値があるんだ」という、本当はものすごく当たり前なんだけれど忘れてしまいがちな大切なことに、改めて気づかされました。


神様からの自然というギフトによって、万奈さんにはその自然に素敵な思いを込めていただくこととができ、その想いにわたしが心を震わせ、そしてこのnoteを通してまた誰かにその思いが届く。

そんな風に贈り物が循環になっていたらいいなと思って書きました。



ここで話していたことは言ってみれば、お互いの持っているもの、例えば、すでに自分が持っている感性や、心にある言葉を交換しているだけ。

でも、人が交わって、お互いの持っているものを交換するだけで、こんなにも豊かな時間が生まれる。こういう時間がわたしは大好きなんです。

お互い深いところ、それこそ「心根」とも言えるような部分の話をすると余計に、心がぐっと近づくように感じます。


今回のインタビューでは、

人を、そして自分自身を、大切にしたいという想いなど、万奈さんとわたしの「心根」にすごく近いものを感じた反面、その表現方法や感性の違いを感じ、違うということがとても美しく、うれしく思いました。

表現するということがこんなにも豊かで尊いことなんだな、という気づきも得ることができました。万奈さん、本当にありがとうございました。


相手の持っているものを信じ、交換する。そういう時間を大切に、またnoteにも書き留めていこうと思います。


万奈さんの作品を見にぜひお店にも来てみてくださいね。


photo by 石丸敬将(風土はfoodから料理長)、飯田愛(風土はfoodからスタッフ)





内藤千裕(ないとう ちひろ)
顔が丸くて大豆に似ていることから、みんなから「そいちゃん」と呼ばれている。現在は「風土はfoodから」のスタッフをするかたわら、株式会社アスノオトで、インターンとして主に「地域を旅する”さとのば大学”プロジェクト」の運営などを行う。


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