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創造の余白をなくしてしまう危険性

仕事柄、カメラマンの方とご一緒することが多く、いわゆるディレクションが仕事の大半を占める。昨日、ホテルでの撮影のこと。いつも素敵な写真を撮影してくれるカメラマンと一緒にあーだこーだ言いながら撮影をしていた時のこと。

一応、自分なりに画角を探しているので、ここを撮影してほしいという旨を伝えた。その際に私は無意識に手のアクションを取っていた。「この画角ね!」と言わんばかりに。

それに対して、彼はとても優しく助言をくれました。

「カメラマンにここをこの画角で撮ってほしいとまで指定しない方がいいよ。それだと、そこを撮るだけになっちゃうから。意図を伝えた上で、この空間、伝えたいことをうまく切り取ってほしい、という言い方の方が、もっとスムーズに進むと思うよ」

なるほど。私は勝手に創造の余白をなくしてしまっていたようだ。自分がこうしたい、に対して、向こうが「だったらこうしよう」と写真で提案してくる。これが真の相乗効果なのだろう。わかっていたつもりだったが、やはり伝え方が9割。いや、10割なのだ。

泊まりでの撮影だったので、ずっと一緒にいたわけだが、この言葉が寝ても醒めても心に残っている。心が揺れ動いた証拠なのでしょう。しっかり刻みます!

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