知っているの思い込み

徹底的に調べるということ
なにごとも理解、分析、応用するためには対象をしっかりと知ることが大事だと思う
そのために徹底的に調査することが重要になってくる

最近、哲学の本を読んでいるのだが
ソクラテスの「無知の知」というワードが
「不知の自覚」に変更になったらしい

「無知の知」という語呂の良さを気に入っていたので
なんだか寂しい気持ちになった

ソクラテスは、当時の知識人であるソフィストに問答を投げかけて
今でいう論破みたいなことをやりまくっていた厄介なおじさんなわけなのだが

ある分野に詳しいソフィストに対して
ある分野に関わる質問を投げかけまくり知らないことを炙り出していたらしい
つまり、そのソフィストがある分野について知っていると思い込んでいるということを
問答によって明らかにするということをしていたということ

対して、ソクラテスは自分は知っていると思い込むのではなく
知らないということを知っているみたいなニュアンスで「無知の知」が使われていたのだが

知っているということは、その事象についてくまなく知っているということが確定している状態なので
正確には、ソクラテスは自分が不知であることをくまなく知っているという意味ではなく
不知であるということを服確定なりに思っている問うことで
「不知の自覚」になったらしい

でも、それ言い始めたらいつまでも知っている状態にはなれないんじゃないのか
全知全能の神様以外は

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