生きているだけで傷つくんだから

またしてもハッピー鬱。非常にハイテンションな鬱。こういうときは、すべての現象が、すべての視界に入る人や物が、すごくビビットで針のようにとがっていて私に突き刺さってきます。ただ自然と息を吸い、心臓を動かしここに存在しているだけのはずが過剰に環境を取り込み全身を突き刺され緩やかな拷問か何かにあっているような気がしていてもたってもいられません。ダメだとわかっていて不自然な笑いが止まらず、大声で話したくなり、暴れたくなり、実際そうなってしまい毎回後悔と自責の念で深い深い涙の海に沈むのです。そんな涙も針であり泣けば泣くほどまた私に何かが突き刺さってもう生きているだけで傷だらけです。豆腐の角に頭をぶつけたらきっと死んでしまうんじゃないかというぐらい脆弱な精神がどうしてこんな世界に留まろうとするでしょうか。私はただ傷つくのが怖くて痛くて心が張り裂けてしまいそうなので息を止めたいのです。ただ、苦しいことをしたくないだけなのです。でも、私の本心である怠惰や恐怖がそれを許しませんし、私には、この世に留まらせるための重い枷のようなものがあると感じています。私は自分で自分を苦痛の海、針の世界に閉じ込めてしまいました。もちろん、他人や世間の影響もあるでしょうが、結局すべての権利を握るのは自分の体であります。自分をこんな世界に閉じ込めてしまう自分が許せませんし、世界が溶けて、自分もそんな世界に拡散し、輪郭があいまいになってしまう時期と世界が鮮やかに輝き、私は世界に独りぼっちになり、輪郭がとがってしまう時期を繰り返し両極端な情報の取り込み方をしてしまい、何が私をこうも普通の人にならないように仕向けるのか、擬態も許さないのかと悩みます。擬態自体はできるだけやっているつもりなのです。できていないでしょうが、世間様の流行などというものも少しは学んでみたり周りに合わせようと頑張ったり自分を殺したりしたのです。ですが、前述のとおりです。私の精神は不必要な針に刺されて傷だらけ、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまうような脆弱さです。そんな人間が自分を押し殺した完全擬態に耐えきれるでしょうか。答えは分かり切ってしまいました。もちろん、耐えきれないのです。ええ、そうです。できなかったのです。努力しても自己像がパラパラと崩れ、自分の傷は増えるばかり。何をやっても、結局は苦痛の度合いが違うだけで、私はマシなものを仕方なしに選択して生きています。そんな私に、どうして生きろなどというのですか。私だってそりゃあ、あなた様のように健康な頭を持ち、常に世界に溶ける自分、針のような世界、世間への擬態について考えることがなければ、考えたとしてももっと対処することができさえすればきっと生きてみようと思ったはずです。今だって苦しみながらもちょっとした希望を見出して、初めて他人のために生きてみたいと思ったのです。でも毎回毎回、それを上回る絶望や苦しみが止めどなく襲い掛かり、諦めたくなるのです。そんな人工的な放射性物質のような心を抱えて、精神の傷と自分でつけた体の傷には唾をつけて対処療法を繰り返しながら生きてきたというのに。なぜなのです。なぜあなたはそんなにも、少ない情報だけを選択して取り込みそれだけをみて私を含むすべてを判断して勝手な感情をさらけ出して豆腐の雨を掻い潜って何食わぬ顔して生きているのですか。分からないのです。だから私は擬態などできないのでしょう。そして、錯乱した精神で錯乱した脳内の世界を闊歩して一人勝手に誰かに擬態しようと無駄な努力を重ね、孤独に溺れて生きていってしまうのでしょう。


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