賢人の首

休日にとある山奥のトンネルに行った。本当に、観光とかで知られてるわけじゃないただのトンネル。トンネル内での自殺者がいたとかなんとかでちょっとした心霊のうわさがあるだけだ。そこでは賢人の生首がダンスをしているのだという。平然とした冷静なダンス。鰹節もパラパラ散ってしょうがが漂う。私はそこに行ってみたのだ。早朝4時。街灯がぷつぷつと消えかけ、有象無象の機械が微睡む午前4時。私の好きな時間。現世に希望もなく漂う私が好きな時間だ。途中までは車で。それから先は徒歩で向かう。ほとんど森のような山のような県道にはくたびれた青いヘキサンゴンがつたをまとって突っ立っていた。まだ薄暗い空にうっすらと靄のかかった空気によって恐怖を感じていたが誰も人がいない、心地よい無音が響く静けさが私の心を躍らせた。自分だけの世界、自分だけの時間。夢見心地だった。奥へ奥へ周りをゆっくりと見渡しながら進んでいくと、一人の老婆がいた。この辺りは廃集落だし、こんな夜明けになぜ人がいるのだろうか。そんな疑問と目的地のトンネルについて何か面白い話が聞けるのではないかと思い、声をかけてみた。
「すみません、こんな時間に何をなさっているのでしょう。」
「それはアンタもだけどねえ。ああ、私はね、ここでおたまじゃくしを育てて雲を見つめながら無機物を溶かしているんだよ。」
おたまじゃくし…よく見ると清らかな小川におたまじゃくしが泳いでいた。どのくらいいるのだろうか。百匹?いやもっとたくさんいるかもしれない。ぼーっと眺めていると老婆は言った。
「アンタ、迷子かなんかかね。」
「い、いや違います。私はこの先にあるトンネルを見に来たんです。何か知ってますかね?」
私はここぞとばかりに老婆に尋ねた。すると、
「ああ。知ってるよ。なんだい、そこに行くのかね。」
「ええ、そうなんです。」
「そうかい…なら気を付けたほうがいい。別に、行くなっていうわけじゃないけどねえ、気を付けなければ賢人の首に引っ張られて谷底に落ちてしまうよ。」
賢人の首…噂で聞いた賢人の首だ。それに引っ張られて谷へ?いきなり訳が分からなかった。
「な、なぜですか。それと、賢人の首とは?」
「あのトンネルは境目だ。揮発性の高い賢人たちのたどり着く先なんだよ。特にその先の橋がダメなのさ。そこを渡ったら…」
橋なんて下調べした時はなかったはずなのに。どういうことなのだろう。私は本当に知ってはいけないことを知ろうとしてしまっているのではないか。
「怖いかね。少しでもそう思うならいくんじゃないよ。賢人の首は真面目で可哀想な亡霊。トンネルの先は賢人の首が忍ぶ、この世の掃き溜め。恐ろしいものがごった返す汚れた場所だよ。」
確かに私は恐怖を感じていた。老婆はなぜここにいてこんなことを知っているのか。もしかしたら自分はもう帰れなくなってしまうのではないか。だが底なしの好奇心が私を動かした。
「いや、行きます。」
少し声が震えていたかもしれない。だが私は絶対にこの先のトンネルを見たい。ただそれだけを考えて一歩踏み出した。
「そうかい…ならこれをもってけ。」
そういって差し出したのは、四葉のクローバー。
「しあわせになりたいのだったらこれを握っていけ。」
私は老婆のいっている言葉の意味がよく分からなかったが、感謝の言葉を述べながらその場を立ち去った。確かに四葉のクローバーは幸せの象徴だが…。最後の言葉の会話のかみ合わなさからあの老婆はただの変人で私を脅かそうとしているだけではないのかとも思えてきた。そんなことを思いつつ、空を見上げると少しずつ朝日が昇ってきていた。鳥のさえずりも聞こえる。私は、蕩けそうな気分になりながらコンクリートを踏みしめて歩き続けた。すると、すこしカーブしている先に思っていたよりも新しいトンネルが現れた。扁額を見てみると「夏燮隧道」とあった。銘板には「竣工 昭和50年10月」とあったので隧道という古い単語が使われているのだと思った。トンネルの中を見てみると、オレンジ色の低圧ナトリウムランプで照らされていた。なんだ灯りはあるのかと安心して前へと進んだ。トンネル内は割と綺麗で50年近く前のものとは思えなかった。だがそれ以外に特に変わりはなく、幽霊のようなものもなく。100mほどだろうか。進んでいくと出口が見えた。すると、確かに橋があった。その時。あの老婆の言葉を思い出す。「橋を渡っては…」
あの続きはなんなのだろう。だが私は好奇心に負け、橋へ一歩踏み出した。そのとたん、生首だ。生首が突然現れた。
「4分間のセミが乱暴な虹だよ」
「返してぇ心臓ゥ」
「止まない雨に打たれて死んだよみんなしんだよ…」
「しあわ…せ。になたい。りたい。しあわせェ!!!」
死をも感じる恐怖。思わず後ずさりした。だが、私はそこから動いていなかった。
「一緒に行こう…もう何も恐れることはないんだよ」
優しく語りかけられはっとした。四葉、自殺、心霊、賢人の首…。ここは、怨念のこもった自殺者の魂の行きつく場所なのではないか。では、私も今自ら谷底に身を投げるというのか!?そう考えていると本当に賢人の首の手に引っ張られ橋のふちにみぞおちをぶつけてしまった。
「あ、ああ、うッ」
恐怖で嗚咽を漏らした。ただの好奇心!それだけでこんな場所で死んでしまうのか…?ダメだ死にたくない…!!
「揮発しない…なら…あなたはこの橋がァ呼んで…い、ない。」
その声が聞こえたとたん私は無数の首におされ、橋から出ていた。いや。橋なんて、なかった。握っていた四葉のクローバーも消えていた。私は、呆然と足を引っ張ってトンネルを出た。振り返ると来た時にはなかった立ち入り禁止の看板があった。
「なんだったんだ」
冷や汗をだらだらとたらしふらふらになりながらもまっすぐ確実に帰路につき、車にのって足早にその場をさった。道中に老婆はいなかった。
家に帰ってから私はベッドに飛び込み、熟睡してしまった。そして翌日の事。私は再び考えた。あそこはなんだったのかと。最初は未練や恨みを持つ自殺者の魂の集まる場所だと思った。私はそこで引っ張られ、「仲間」にされそうになった。確かにこれだとつじつまがあうかもしれない。あのトンネルでは自殺者がいたといううわさがあったのだし。だが、よく考えれば最後は「揮発しないなら橋が呼んでいない」と言われ橋から追い出された。老婆も揮発性の高い賢人…と言っていた気がする。揮発とは気体になること、見えなくなることだ。つまり、死。自殺…なのか。死ぬ気がないなら橋が呼んでいない。ならばあの場は死ぬということが脳裏にある者を引き寄せ、誘い出し、自殺へ導く場所なのかもしれない。そして、そうやって導かれたものの住まう場所なのだ。だから死にたくないと願った私は追い出されたのか…。全てがつながった。よく、トンネルは境界なのだと言われる。私は境界を越えてしまったのだ。私はいつ死にたいなどと思ったのかはわからないが、自殺をする人間は皆疲れていて真面目で思慮深い人…賢人なのだという。私も心のどかで疲れているのに違いない。私の推理が正しいかどうかわからないがあの場所は今の私の行くべき場所ではない。考えすぎて疲れた。少し休むとするかな。    END.


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