春の終わり二話

第二話「かけがえのない春の嵐」

「葛原くん、この冷蔵庫にあるトマト食っていい?」
なぜ、彼がここにいるのか。午前中の僕には思いもしなかったことが起きている。なぜ彼は僕の家に半ば強引に上がり込んできて勝手にトマトを食べているんだ!
「おい待て!食べていいなんて一言も言ってない!」
「金は返す。腹減ったから。悪い。」
またしても頓珍漢な回答を繰り出す魚躬清志。仕方なく家に入れたというのになんなんだこいつは。失礼という概念を擬人化したかのような失礼の化身である。

始業式は特にトラブルもなく、ただ淡々と愛宕先生に匹敵するほどの校長のつまらない話を聞き終わっていった。それから連絡を聞いたり、配布物を受け取ったりして、昼前には学校が終わり帰路に就いた。僕は、未だ冷たい春風を不快に思いながらゆっくり自転車をこいで家に向かう。僕の家の周りにはたいしてほかの民家はなく、大抵ぼちぼちと一人で帰る。もっとも、僕の家が住宅街にあったところで、一緒に帰る友達なんていないのだけれど。いつもと同じように、一人寂しく鼻歌を口ずさみながら帰る。ただひたすら田んぼだらけの上り坂。そんな中、後方から息を切らす音が聞こえる。バタバタと足音が聞こえる。振り返ってみると、そいつは魚躬清志であった。僕は無視をすることにした。彼は特に呼び止めることもなく無言で後ろを追いかけてきた。息を切らしながら。僕はゆっくりとはいえ自転車に乗っていて、彼は徒歩。すごい持久力とスピードだ。それだけは純粋に尊敬する。とはいえ、ずっと後ろをついてこられるのもなんだか不気味だ。
「おい!いつまでついてくるんだ!」
「俺の家もそっちなんだよ」
最悪だ。なんでよりによってこいつが僕の近くに引っ越してきたんだ。そりゃあ小さい頃は、近くに同じ年頃の友達がいたらなんて思ったさ。でもなんでこんな最悪な形でその願望がかなえられるとは思いもしなかった。家の前についても彼はまだぜえぜえはあはあと息を切らして僕の家のほうまでやってくる。彼の家はいったいどこなのだろう。ここ最近この辺に誰か引っ越してきただろうか。そんな記憶はない。新しく建った家も、空き家もない。しいて言うなら僕の家の隣にボロい小屋ようなものがあるだけ。まさか、そんなところに引っ越してきたということはないだろう。
「はあーやっとついた!坂きついなー」
「お前家どこなんだよ。この先も民家なんかあったか?」
「いや俺の家これだよ」
彼はボロ小屋を指さす。まさかあそこがあいつの家だとは。まあ転校初日から、ボボロンだのなんだのと声を荒げる男ならこんな変な家に越してきても不思議ではないかもしれない。だが、こんなボロ小屋は人の住処として適切なのだろうか。
「お前マジであの家に住んでるのか?まだリフォームもできてないみたいだけど。」
「実は昨日は一人でホテルに泊まって、そこから学校に来た。だから俺もこの家に入るのは初めてだよ。リフォームが入るのも前に住んでたところから荷物が届くのもまだ先らしいし。ま、片づければ寝るぐらいはできる。」
また訳が分からない。なぜそんな夜逃げのようなことをしているのか。両親は?まさか両親が飛んだのか?なんて揮発性の高い奴。こいつの親はガソリンなのか?リフォームはまだって、こんなボロボロの家に何も持ってきていないのに住めるわけがないだろう。だからといって僕には関係ない。こんなやつ、さっさとガソリンみたいに蒸発して爆発しちまえ。
「ふーんそう。まあがんばれ」
僕はそう言って、古くて開きにくい鍵穴に鍵を差し込んで、家のドアを開けた。
「ただいま」
もちろん、何の声も返ってこない。僕はこの家ですら独りぼっちなのだから。洗面所で手を洗ってもジャーという水の音がむなしく響いて、僕のため息も馬鹿みたいにデカく聞こえる。デカい家なのが余計にそうさせる。僕は玄関からすぐの仏間に向かった。
「爺ちゃん、無事に2年生に進級できました。相変わらず友達はいないけどバイトは楽しいし、学校もそれなりにうまくやっています。ただ、隣に一人変な奴が越してきたけど。」
そういって正座をして手を合わせた。僕はうまくやっている。きっと、うまくいっているんだきっと。もうこの家には僕しかいない。死んだ人間に向かって独り言を言うだけ。気が狂いそうだ。
「ピンポーン」
静寂を打ち破るように、チャイムの音が鳴る。はーいと返事をし、僕は玄関へ向かう。
「宅急便です」
あれ、何か頼んだっけ?まあ、一応出よう。
「すまん、やっぱリフォームが入るまでちょっとお邪魔させてくれ!悪い!」
「悪いと思うんなら入ってくるんじゃねええええ!今すぐ出てけ、お前の指ドアで挟んで落とすぞ!」
魚躬ぃ!お前は何様だ。本当に今この瞬間、扉をばたんとしめて指をちょん切ってやりたいほど腹が立っているが、そんなことをしたら玄関が血だらけになるどころか、警察に捕まるのでいったん冷静になって考えることにした。
「葛原くん、俺を殺す気か!凍え死ぬ!やっぱりあの家では凍え死んでしまうよ!!!君は自分の家の近くで人が死んでいいのか!」
そうか、確かにあいつが腐乱死体にでもなるとそれはそれで迷惑だ。それにやっぱり変な奴とはいえ事情がありそうだし、少しかわいそうだ。後で、きちっと食費と光熱費と宿泊費を計算して払ってもらえればいい。そう思って家に入れることにした。
「ああわかったわかった。数日だけだからな、あと金もとるからな。わかったな!」
「ありがとう!ありがとう!君は人間の鑑だ!」

こうして今に至るのだ。やはり、家に入れるべきではなかっただろうか?まあトマトは後でこいつに買いに行かせよう。この町の案内もかねて。


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