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荀子 巻第十議兵篇第十五 3 その4

孝成王からの「将たること」についての問いに対して、荀子は六術と五権、三至の説明をしました。続きです。

慮は必ず事に先きんじ而してこれをひきしむるに敬を以てし、終を慎しむこと始の如く終始は一の如し、夫れ是れを大吉と謂うなり。凡そ百事の成[功]は必ずこれをつつしむに在り、その敗は必ずこれをあなどるに在り。故に敬の怠に勝つときは則ち吉なるも、怠の敬に勝つときは則ちほろび、計の欲に勝つときは則ち従(順)なるも、欲の計に勝つときは則ち凶なり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

敬→①つつしむ。かしこむ。心に慎む。
計→🈩⑨はかる。(ア)みつもる。くわだてる。たくらむ。おもんぱかる。
順→②都合がよい。さしさわりがない。
凶→①わざわい。運がわるい。
拙訳です。
『「考えることは必ず事の先まで及びながら身を引き締めて慎重に行い、終りを慎重にすることは始めるときのようで終始は同一のようにし、このような事を大吉と言います。多くの成功は必ず慎重にすることから発し、失敗は必ず怠慢であることから発します。ですから慎重が怠慢に勝れば吉となりますが、怠慢が慎重に勝れば滅び、配慮が欲望に勝るときは差し障りはありませんが、欲望が配慮に勝ればわざわいとなります。」』

戦いては守るが如くし、行[軍]には戦うが如くし、功ありては幸(僥倖)の如くし、謀をつつしみておろそかにすること無く、敵をつつしみておろそかにすること無し。夫れ是れを五無壙ごむこうと謂うなり。慎しんで此の六術・五権・三至を行いて而もこれに処するに恭敬無壙を以てす。夫れ是れを天下の将と謂い、則(即)ち神明にも通ずるなりと。臨武君曰わく、善しと。

(同)

神明→神。神祇 (じんぎ) 。
拙訳です。
『「守るように攻め戦い、戦うように移動し、功績をあげれば運が良かったようにし、謀略は慎重にしますがおろそかにはせず、敵に対して慎重ですがおろそかにはしません。これらのことを「五無壙ごむこう」と言うのです。以上の六術・五権・三至を実行し、しかもこれらを恭しく慎重に行う人を神にも通ずるような天下の将軍と言います。」臨武君が「良く分かりました。」と答えた。」』

今回は、「五無壙ごむこう」が出てきました。金谷先生は、「五つの慎重事」と訳されています。確認します。
(1) 先まで熟考し行動は慎重にし終始がぶれず一貫している。
(2) 慎重に配慮しながら成功をおさめ、怠慢や欲望による失敗をしない。
(3) 攻める時も守りを意識し、移動するときも戦闘を意識する。
(4) 功績を誇示せず運が良かったと謙遜する。
(5) 謀略や敵に対して慎重であるが軽んじない。

将軍はリーダーですから、今の社会で言う部長とか課長とか役職者と置き換えられそうです。部長の心得として、上記の「五無壙ごむこう」を読み返すと、今にも通じる戒めとなっています。いきなりの(1)、『上の指示が場当たりでさ~、コロコロ変わってやってらんないよ。』なんて居酒屋の愚痴が聞こえてくるようです。
自分はどうか。
今日も荀子に教えられました。

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