ファン目線でパリピ孔明【アニメ感想と共に推しに対するファン心理(僕の場合)を語る】

今期、パリピ孔明見てまして。11話まで見た感想、というよりも自分がAZALEAのななみのファンだったら?というお話。

推しであれこれ見てるならば、作ってるキャラじゃない部分をきっとどこかしらの活動の中で感じるはず。
人は誰しも矛盾やキャラブレを持ってるから、そういったラフな意味で捉えてたとしても、どの表情も全部が込みで推しなのよ。

本当の自分じゃない、と言うのであれば本当の推しがやりたい音楽をして欲しい。

推しがAZALEAの活動が嫌なら、AZALEAのファンだけどAZALEAは閉じていいと思う。
きっと泣くけど、辛いけど、それでも推しがやりたい方をしてくれなきゃやだもん。

けれど、培ってきた年月の中でAZALEAやその周辺の出来事も全部が嫌ってわけじゃないなら、無理なく続けられる方向転換と本当を過ごせる場所作りを応援したいと思う。

昔、ある女性アーティストさんがTVで言ってた。ミニスカートが嫌で、じわじわと丈を伸ばしたんだそうな。

ファンは、少なくとも僕は、推しがそうしたいっつったらそれを応援したい。

だって、ななみんを、AZALEAのメンバーを、応援したいんだもの。

もっとこうしたい。
あれしたい。
それが言えなくても、スカートの丈ぐらいでも、自分が出来る範囲でななみんの意思を見せてくれたら。
周りの言う事じゃなくてファンを信じてくれたら。
そういうワガママを思ってしまう。

もしもどこかに溢れ出たななみんやAZALEAの本心があったら、それを掬って信じたいと思う。

もちろん、きっとファンは怒ったり減ったりする可能性はある。
けど、その選択に惚れた新しいファンとそれでも着いてきてくれるファンとで新しい自分を進めばいい。

もしかしたら事務所もそのままでいいって許可してくれるかもしんねーじゃん?

本当にやりたいことやってみて、もしも“案外あのAZALEAも好きなとこあったかも…”ってななみん達が感じたら、またちょっとそういうテイストを取り入れた楽曲やライブしたっていーじゃん?って思う。

僕がななみんファンだったら、ななみんがやりたい音楽やステージが正解なので。
AZALEAを変えようと手放そうと戻ろうと関係なく、ななみんの選択や感情が正解なので。
もしもそれが自分の好みでなくとも、ね。

いちファンの立場じゃ孔明たちのようにななみんにしてあげられることはほとんど無いけどさ。
その感情さえもエゴイスティックなものだなぁって僕が自分に苦笑したくなるのは、単に自分の自己肯定感の問題だろうなぁ。

スタッフを想う気持ちがある優しいとこぐらいはファンだって絶対知ってるしそういうとこきっとファンは大好きだから。
だから推しには、自分に優しくしていて欲しい。

音楽を続けたいなら続けよう。
その音楽じゃないなら違う音楽をしよう。
ファンはそれを叶えるためにいて、たくさんのファンがいたら無茶振りだって叶えられる力になる。
僕はファンって立場をそう感じてる。

という、もしも僕がななみんファンだったら、な記事でしたー。

にしても、かべさんのフェイカーってワードの使い方すげぇ上手ね。
胸が痛くて苦しくって笑えてきちゃう。
そういうの、痛快とか面白いとかって世の中では賞賛されるのかしら?
切ないね。
だから僕は弱いのかなぁ。

目に映る文字が全部ラップになるのは、ちょっと違うけど僕も似た感覚があるからそれには共感する。

もしも僕に僕のような強火担ファンがいたら、って思うとさ。
僕も自分のために笑顔のために、もっと好きを生きていようって今は思うんだ。


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