自然環境保全区域の現状、知らないという罪と伝えないという罪。

どーも、あおいりゅーでっす。

かねてから気がかりだった地元の環境保全にちっとでも関わりたく、ボランティア活動に参加してきました。

何事もそうだと感じるのですが、僕の住んでる場所だけじゃないかもしれないけれども『何かと他人事』だよなって感じることが多くて悲しく思う出来事がたくさんあるのよな。

昔はあった、も含めた体験や見聞きの一部を書きますね。

・お祭り用の動物の売れ残りを自然に放流する
・転売目的で買い占める
・テレビなどを鵜呑みにして、必要量以上に買い占める

などをするわりには、このコロナ禍だったり地震だったりに対しては注意力が薄く【黙食】や【ディスタンスを保つ】といったことをしなかったり、ふつーに出かけるし、ちょっと地震で揺れたぐらいではなんの対策もしなかったりする。

どこかの地域が地震や津波に見舞われると、ボランティアや寄付ではなく自分の環境を整えるために物資を買い占めたり行政に「地元にあれが起きたら死んじゃう!ちゃんとしてよ!」みたいに文句を言う活動が活発化したりする。

昔から不思議な習性だなぁと思ってるけど、雰囲気が変わる様子もないなーとコロナ禍も不思議な気分で地元を感じている。

みんなと同じ・流行りが大好きってのは、良い面もあるし悪い面もある。

このくらいいいよね、自分ひとりくらい大丈夫だよね、みんなやってるからそんなに神経質にならなくてもいいよね、みたいな感じが強く感じられて、そうではない人も見かける……ということがとっても少ないんだよねぇ。

んで、今回ボランティアをしてみて知ったことにも人為的な悲しいがいくつかあったので、詳しくは書かないが記させていただく。

・備品を盗む
・保護や個体数の管理のためのものを勝手に弄る
・生体を盗む
・植物を傷つける

植物を傷つけるのも、生体を盗むための行為らしい。

盗んだ生体は、何かの餌にしたり売ったりするらしい。

そもそも、自然環境保全区域というのはそのエリア内のものに触れたり移動させたり持ち帰ったりという行為に制限や禁止がある。

よく分からないのであれば、知らないのであれば、眺めるだけに留めて何にも触れないのが一番だと思う。

が、地元の人間はそれすらも知らない場合がある。

地元にとっては当たり前に存在している、他の森や公園と同じ感覚であるのだろう。

ゴミのポイ捨てや道端の草花を摘むのと同じようなラフさで、保護区から動植物を持ち帰ったり備品を盗んだり外から持ち込んだりしているのかもしれない。

保護区の豊かな自然が尊いものだと感謝せずに「当たり前にあるものだ」と感じられることは、とても素晴らしく尊い環境であると思う。

しかし、令和ともなればその当たり前が当たり前ではないのだと知ること、伝えること、が大切なんだと痛感させられた。

平和で穏やかで、自然豊かな場所。

そう自慢する人はいる。

それ故に平和ボケして麻痺していることに気付いている人、言われてはたと思う人、というのも増えていって欲しいものだと感じる。

自分には何ができるのだろうかと悩みながら、今これを綴っている。

こうして綴ったものが誰かの目にふれ、目の前に自然が見える人の心やその周囲の人にひとりでも考えるキッカケを与えられたらとも願いながら。

何はともあれ、どんなことでも『自分で決める』『自分で判断する』ということが当たり前になって欲しいと思う。
難しいことではあると思うけれど、そうする人がひとりでも多く周囲にいれば安易に周囲やメディアに流される人の判断基準となるものも『自分で見聞きして、自分で判断する』ということになるのだから。

もしコロナ禍の対策が窮屈でまるで自分ばかりが真面目にやっててバカみたいに感じて凹んでしまう人がいれば、諦めずに自分だけでも守っていくんだと信じて正しく怖がることを続けていって欲しいと思う。

そしてこの記事は、自分への戒めとしても機能し、ちょっとの気の緩みも起こさないような自戒を強めていけたらと思う。

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