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LGBTQという表記【セクシャルマイノリティの歴史と現代の多様性】マジョリティの不寛容から学ぶ、ありのままで良いということ

LGBT、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーと性的マイノリティ(セクシャルマイノリティ)のそれぞれの頭文字を取っている。
けれど、LGBTsだとかLGBT+だとか、表記も様々。
そんな中で『LGBTQ』という表記をしている知人たちがいる。

僕は勝手に、僕を通じてだったり様々の中で感じたL・G・B・T以外の人々への配慮だと感じて嬉しく思っている。

僕は『Q』だからさ。

言葉や行為として直接的じゃないにしろ、僕を思って応援してくれてる…というとちょっと勘違いが過ぎるのかもしれないけれど。笑
まぁ、僕のことも含んでくれてんのかなぁーなんて調子こきな気分でいたりする。

僕は国籍や様々が本当に人それぞれな場所に住んでる。
その中で、外人は~とか、日本人なのに~とか、若いのに~とか、色んな枕詞を聞く。
もちろん男女についても。

この国の近代において、LGBTは未だ発展途上だと僕は感じる。

国内では、本来の性を隠して家庭を持つのが当たり前だった世代だって今も人生の大先輩として生きている。

僕と同世代だって、早くにパートナーを見つけた人はパートナーシップ制度の前だから戸籍上は養子としてパートナーの家族でいる。

今だって、パートナーシップ制度では地域や様々の縛りがあって養子縁組の方を選んだりそういった手続きはせずに同居してる人たちだって多くいる。

公表やカミングアウトをせずに生きてる人の方が、未だきっと多いのだろう。

わざわざ言う事でもなくて、わざわざ傷つく事をしなくてもいいんだから、それでその人の幸福が守られているのなら良いと思う。

けれど、言わないことで苦しくなるのは違うかなって思うから『言っても傷つかない』『言うことに対して勇気が必要ない空間や環境』はこれからももっと増えていくようになれば良いと僕は感じる。

僕が地元で起業しようとしてるのも、このため。

都心がいくら変わっていこうとも、都心が飽和していくだけ。

地方での意識や環境が変わらなかったら、ネットのあふれたこの時代では地方からのバッシングも都心でがんばってる人を挫いてしまう。

そういう世の中に、悲しいかななってしまってる側面がある。

逆に、住まい関係なく繋がれる今である。
だから地方だって以前よりも多様化しやすい。
都心とのラグを減らせる。

ってのは、地方で直接あーだこーだ言われながらやってくっきゃないのがしんどさはあるけど、目の前にいなくてもネット越しに画面越しに仲間はたくさんいるからさ。

都心だけの事・飲み屋街や施設など一部だけの関わりのないこと。
目の前にはないんだって蓋をして平和を保ちたい人々に知っていただくというのは、それだけで拒絶が起こる。

僕は知らなかった。
僕が変だとか、僕がいけないんだとか、納得いく理由を探したり合わせる努力をしたり、そんな必要はないんだってことを。

マジョリティの人たちの様々への反応を見ていると “ たった1回、たった1人、そういう場面に出くわしただけでそんなにも拒絶や怒りを示していいんだ? ” って、冷静になって感じた。

受け入れられない、否定される、抑圧に合う、フリや努力をする、それが僕には当たり前だった。

マジョリティに対して、フツウやジョーシキに対して、理不尽さを感じるようになった。

たった1度でさえ許すことも聞く耳を持つ態度さえも持たない彼らに、どうしてこちらは過去も今もずっとずっと許して聞いて合わせたり変えたりしなくちゃならないんだろう?って。

職場や学校での雑談で「うちの旦那がねぇ」「彼女がさ」そういう何気ない会話にさえ気を使って言葉を選んでるのって、やっぱりなんか変だよ。

「わかるー。うちのもさぁ」って一緒に会話したって良くない?
なんで気ぃつかわなきゃいけないんだろ。
なんで空気凍るんだろ。
そういう過去の経験が怖くてねじ曲がった性格だとしても『個人のせい』にしてやっぱり排除する感じとか、よくわかんない。

まずは遠くの誰かじゃなくて「目の前やすぐ傍にそういう人はいるんだよ、って知ってもらうだけでいいよ」って譲歩も受け入れられないの、どうしたらいいんだろうね?

喧嘩したいわけでも壊したいわけでもないのに、不思議とこちらは罵声や抑圧や様々を受けてしまう。

「じゃあ別々の道ですね」って言っても、出ていくことを歓迎したり応援したりもせずにやっぱり抑圧されるの、なんでなんだろう?


生きてていいんだよ。
好きなことしていいんだよ。
笑ってて欲しいな。

そういうことをわざわざ言われないといけないくらいの苦しみを、どうして一部の人間だけに背負わせて排除してしまうのだろう。

誰も言ってくれないから自分で言うのに、どうしてそれも許してもらえないんだろう。

これのどこが支援や助け合いなんだろう。

LGBTQって言うことで遠回しに気遣ってくれる知人様方のような活動や優しさの器用さが僕にないから?

そういうことすら教えてももらえないから、今日も僕はひとりで多くを考える。

同じような苦しみを、どうしたら減らせるかって、好きな人たちの笑顔になることをどうしたら作れるかって。


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