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中学生の時、不登校で得たものは「没頭経験」と「ナナメの関係」だった。

思えば、中学生の頃、僕は不登校児でした。

当時、とにかく寝ても覚めてもゲームが好きで、FFやドラクエ、ゲームボーイアドバンスの『ウイニングポスト』を深夜までやったり、村上春樹の小説を読みふけったり、インターネットで2ちゃんねるやくだらないFLASHを見漁ったり、自分の小説を書いて発信したりしていました。

↑その時の経験を記事にしたのがこちら。

不登校で失ったもの。

気が向いたら学校に行く。そんなナメくさった生活を送っていたので、欠席・遅刻の数がハンパないことになっていました。結果、内申点は残念な結果になってしまいました。

もしかしたら、マジメに学校に通っていたら、もっと偏差値の高い高校に進学できていたかもしれません。

でも、僕は北多摩高校に進学できて良かったなと本当に思っています。他でもない、今の妻と出会えたのは、あの高校に通っていたから。

そのほかにも失ったものはあります。

学校にも行かずに、ひたすら一人で昼間はゲーセンに通い、夜はインターネット三昧。

こんな生活をしていて、友達ができるはずもありません。

厳密に言えば、友達が全くいなかったわけではないですが、浅く狭く、という感じだったかもしれません。それゆえ、「大人になってからも再会を喜びあえる友達」がいなく、同窓会にも一度も顔を出せたことがありません。とりたてて嫌な思い出があるわけでもないので、ひさびさに会いたいなぁと思える人もいないわけでもないのですが、なかなかきっかけがなく。。。

普通の人が持っているような「友だちと共有していた濃密な時間」が、中学時代の不登校児だった僕が一番失ったものかもしれません。

不登校によって得たものとは。

一方で、得たものもあります。

幸か不幸か、神様は人類に等しく「一日24時間」という時間を与えてくれています。

他の人が学校で学んだり、部活動に勤しんでいる時間を失った分、僕は「何かに没頭する時間」を得ていたのです。

昼間はゲーセンで競馬ゲームやスロットゲームに没頭し、夜は小説やインターネットに没頭。

ゲーム、小説、インターネット。

インターネットに没頭したことについては、先述のブログ記事に書いた通りでしたが、今思えば、ゲーセンに入り浸ってひたすら競馬ゲームに没頭していたのも、僕にとって大きな原体験になっていました。

真昼間からゲームセンターに入り浸っているのは、ニートか時間を持て余してサボっているサラリーマンのおじさんくらいのものです。

その中で、一人「パット見小学生?」にも見える少年が毎日のように昼間から競馬ゲームに没頭しているのです。

そりゃ、目立ちます。

特に、『リーディングサイヤー』というコナミの競馬ゲームに没頭していたのですが、ひたすらネットで攻略情報を調べては、持て余した時間を全振りして日夜研究活動に勤しんでいたので、「不死身馬」(通常、馬は加齢と出場試合数に伴って弱体化するのですが、運とノウハウがあれば、永遠に能力が高い状態を維持できるのです)を生み出すなど、歴戦の殿堂入りプレイヤー(全員凄腕のオジサン)に混じって、少年が奮闘していました。

そりゃ、目立ちます。

おかげで、そのオジサンたちにとっても可愛がっていただき、ネットには載っていないノウハウを教えてもらったり、メダルがなくなってきたら分けてもらったり、それはそれは良くしてもらいました。

よく考えれば、いい年して(30〜50代くらい)真昼間からスーツ着てゲーセンに入り浸っているオジサンなんて、世間的にみたらロクなオトナではないのですが、母子家庭で父親がいなかった僕にとっては父親のような、歳の離れたお兄さんのような、特別な存在でした。

今思えば、藤原和博先生の「ナナメの関係」というがゲーセン通いによって出来上がっていたのかもしれません。

そのおかげ、かどうかは今となってはわかりませんが、就職活動の際に、社会人の方々に対してまったく物怖じすることなく、100人以上の方にOBOG訪問ができたのは、この時のゲーセンの原体験が大きかったのだと思っています。

「不登校児」だった僕が失ったものは決して小さくはないけれど、その分、ゲームや小説、インターネットに没頭できたのは本当に良い経験だったと思います。

中でも、ゲーセン通いによって得た「ナナメの関係」は、今の僕にとって大きな資産になっています。

今や、3児の父親になった僕ですが、子どもたちにはなるべくオトナたちのいる場に連れ出して、「ナナメの関係」を多く提供できる父親でありたいなと思っています。










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