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レッズ初タイトルまでの軌跡②

2003年ナビスコカップ。浦和レッズはチーム発足以来初めてのタイトルを獲得した。
降格まで経験したチームは、いかにして強くなっていったか。メンバーの移り変わりと、当時の雰囲気を中心に書いていきたい。
今回は2000年。30年の歴史の中で唯一経験したJ2時代の話。


まずは公式のプレイバックを

2000年~長く長く険しすぎた道~

①編成と成績

主なOUT
土田尚史
ザッペッラ
べギリスタイン
池田伸康
桜井直人
中村忠

主なIN
阿部敏之
室井市衛
クビツァ
鈴木啓太
千島徹
早川知伸
アジエル(シーズン途中)

IN・OUT評価
若返りと補強、両方を上手く成立させた印象。
引退した土田含むOUT選手はベテラン、高年俸、控え…といった選手で、オファーはきたであろう実績、素質十分の選手達が全員残留したのは、カテゴリを下げたという状況では大きく評価できる。
IN選手は阿部の室井の加入が何より大きく、地元出身ということで期待を集めた。
そして、高卒新人として鈴木啓太が加入。


監督:斉藤和夫→横山謙三
全選手(数字は年齢)
※アンダーバーのある選手は紹介ページに飛べます

34 広瀬・ペトロヴィッチ
33 福田
32 田北
31
30
29
28 西野ピクン
27 土橋岡野・福永・クビツァ
26 大柴内舘・路木
25 安藤・阿部室井・小島
24 山田
23 盛田・宮沢
22 石井・城定・早川
21 河合・永井
20 小野
19 池田学・吉野・高橋・西部アジエル
18 鈴木・千島
※太字は後述のベストイレブン


出場時間ランキング
① 石井俊也
② 山田暢久
③ 田北雄気
④ クビツァ
⑤ ピクン

得点ランキング
① 永井雄一郎  12
② クビツァ     11
② 福永泰          9
② 阿部敏之       8
⑤ 小野伸二       7

ベストイレブン(出場時間を元に)

実際は岡野はFWでの出場が多かった

GKはシーズン終盤まで田北雄気が務め、山田暢久と石井俊也の若手2人は昨年に続きチームの核となり、小野伸二は欠場が度々ありつつも流石のプレーを見せた。
阿部敏之と室井市衛の鹿島からの新加入「おかえり」コンビがしっかりと活躍してくれたのも大きかった。
得点数は永井雄一郎の成長こそあるものの、40試合での数字と考えるとやはり寂しくはある。
それでも「満遍なく点が取れる」チームであったとは言えるだろう。
かなり苦しいシーズンを送ることになったが、クビツァ、ペトロヴィッチ、ピクン、アジエルと外国籍選手たちがしっかりと活躍してくれたのはチームの大きな力となった。

②シーズンを振り返る

開幕戦 VS水戸ホーリーホック

あのVゴールから3ヶ月。浦和レッズ初めてのJ2でのシーズンは同じ駒場スタジアムでスタートした。

実績充分のMFベギリスタインが去り、新しいエース候補として、クビツァが加入した。チームの中心を担っていた山田暢久や小野伸二が残留、浦和出身の阿部敏之や室井市衛も加入し、選手層としては、むしろ厚くなったようにも思える。

「絶対に1年でJ1に戻る」というのは統一された目標ではあったが、「目指せ勝ち点120!!(全勝)」と言うサポーターからのメッセージがオーロラビジョンで流れるなど、どこか優勝を楽観視するような雰囲気もあった。

ただ、やはり当時のJ2では見られないようなクオリティの選手が多数いた事は確かで、開幕から7連勝、途中山形に負けるもその後5連勝。12勝1敗とまさにロケットスタートと呼べるような成績を上げ、首位に君臨、このまま順風満帆なシーズンを送るかのように思われた。

そんな浦和の前に立ちはだかったのがコンサドーレ札幌だった。初対戦となった第17節で完封負け、これでリズムを崩されたのか続く新潟に1対6の完敗。その後10試合は連勝がなく、首位だった順位も札幌に抜かれてしまう。

がっちり守ってエースが決めるという札幌のスタイルは、J2の戦い方としては理想的で、最終的に40試合で失点22、2位とは12ポイントの差をつけ優勝した。

浦和の目標は、途中から優勝ではなく昇格に変わっていった。

9月16日大宮戦を最後にペトロヴィッチが退団。新たにアジエルが加入した。
そして札幌、新潟と同じカードで連敗したタイミングで監督も横山総監督へ変わり、まさに総力戦でシーズン終盤へ向かっていった。

37節 VSベガルタ仙台


横山監督が就任後大きく変わったのが守護神だった。不満があるというよりは、「雰囲気を変えたい」という意味合いもあったのだろう。ベテラン田北雄気から、当時19歳だった西部洋平へ守護神の座は移った。田北はその後ベンチ外へと序列を下げてしまい、西部は期待に応え、身体能力とガッツでゴールを守った。

監督交代後は
1-0□仙台
2-0○大分
1-2●山形
1-0○水戸
1-0□湘南
1-0○大宮
※□はVゴール勝ち
とラストスパートをかけてはいたが、これでも昇格のライバルである大分との争いは、最終節までもつれこむことになった。

最終節前の成績は
   勝 得失
浦和 80 +41
大分 78 +41
であり、大分が90分で勝った場合浦和は引き分けでは昇格できない…というのが、試合前の情報であった。1年前の残留とほとんど同じ条件ではあったが、唯一違うのは「Vゴールでも勝てばOK」という点。そしてこの違いがあのドラマへ繋げる伏線となったいく。

11月19日 駒場スタジアム
サガン鳥栖戦 2-1□

最終節 VSサガン鳥栖


この試合に関しては散々語られているし、長くなるので専用の記事を読んでいただいた方が良いだろう。

僕も土橋正樹の紹介で少し書いています。

と、「もはや説明不要」のVゴールでなんとか鳥栖に勝ち、J1昇格を決めた浦和。
1年前、同じスタジアムで同じVゴールで泣いたスタンドは、また違った涙で溢れていた。

ぶっちぎられた札幌への悔しさと、それでもなんとか復帰できた安堵感を抱きながらJ1へ逆襲をかける。
この一年はより遠くへ、より高く跳ぶための「長い助走」となったのか。


大分長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

この年はとにかく長く辛い1年で、昇格に向けて一歩ずつ進むワクワク感…なんて雰囲気はほとんどなくて、前半は開幕からの連勝で「いける!優勝!」で、後半は「なんとか昇格を…」と佳境になるに従って楽しむ余裕は無くなっていた。

でも勝っていたのも事実で


翌年のJ2は4試合多かったにもかかわらず、2000年の浦和と翌年優勝した京都との差はわずか2ポイントだった。3チームの争いが、いかにハイレベルだったかということが分かる。

本当にギリギリで昇格したけども、仮に1年で上がれなかったら…というのはいくつかのチームが身をもって教えてくれているのでどんだけギリギリだったとしても上がれて本当に良かった。

この降格があったからこそ初タイトルとリーグ、アジア制覇に向かっていったと思っているけど、それでも思う。もう落ちたくない…と。

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